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神奈川県 その4   
圓朝地名図譜
あゝ、あれかい?箱根山てえのは、噂(はなし)にゃ聞いてたがなあ、眼のあたり見たのははじめてだなあ、へェェ、やはり箱根山とくるとずいぶん厚みがあるなあ
 (柳家小さん(5) 「三人旅」)
  飯島友治編,『古典落語』 第三巻,筑摩書房(1968)
 
地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
湘南 しょうなん 失恋(落語のごらく−あまり落語っぽくないお話たち (2009) 神奈川県 神奈川県の相模湾沿い,藤沢から大磯あたりにかけてが湘南になる.中国湖南省,湘水の南がオリジナル.大磯の鴫立庵を作った崇雪が寛文4(1664)年に立てた鴫立沢碑の裏面には,"著盡湘南清絶地"とあり,これが湘南発祥の地とされている.
"私が見たいのは、砂浜。湘南みたいな綺麗な海が見たい"(失恋)
湘南発祥地碑(写) 2012
茅ヶ崎 ちがさき 牡丹町の女(花棒)(柳家小満ん口演用「てきすと」 20, てきすとの会 (2016))など 茅ヶ崎市 「牡丹町の女」と題する新作では,祭りの枕に茅ヶ崎の浜降際が出てくる.寒川・茅ヶ崎の神輿数十基が,浜に集まって禊ぎを行う.茅ヶ崎のシンボルと言えば烏帽子岩で,「大山詣り」でも烏帽子島と誤って烏帽子岩が出てきたりする.羊羹になると,烏帽子というよりオットセイみたいに見える.
"翌日の十六日が茅ヶ崎の浜降際(はまおりさい)だ"(牡丹町の女(花棒))
烏帽子岩 2013
南湖 なんご 富久(立文楽1:02) など 6件3題 (東京6件) 茅ヶ崎市南湖 吉原宿と並んで,東海道で富士山が左側に見えた左富士ポイント.文楽(8)の「富久」の久蔵がかじる"なんごの腸抜き目刺し"もここの特産であろう.
"ああこれ……これはねェ、なんごの腸抜き目刺ッて、この目刺なんてえものは"(富久)
南湖の左富士銘板 1997
馬入川 ばにゅうがわ 殿様の廓通ひ(講明治大正1:42) など 2件1題 (東京2件) 茅ヶ崎市〜平塚市 相模川下流の別称.橋脚(国史跡)は鎌倉期のものらしい.源頼朝がこの橋の渡り初めのときに落馬し,それが原因で死亡したと言われる.
"チョイと……言づけが。という間にモー馬入川を越してしまいました"(殿様の廓通ひ)
旧相模川橋脚 1997
馬入の渡 ばにゅうのわたし 慶安太平記(三一談志2:11) 1件1題 (東京1件) 茅ヶ崎市中島〜平塚市馬入 川は相模川.現在の馬入橋あたり.
"馬で乗り込む馬入の渡"(慶安太平記)
馬入橋より西方を望む. 1997
平塚 ひらつか 城木屋(青圓生12:16) など 4件3題 (東京4件) 平塚市 東海道の宿.七夕祭りで有名.写真は平塚の地名の由来となる塚(平塚4).平塚碑は1919年のもの.「城木屋」では,"平塚"の間も忘れかね.
"『戸塚』まえて口説いても、首を横に『藤沢』の、『平塚』の間も忘れかね"(城木屋)
平塚の塚 2022
平塚:中原御殿 なかはらごてん 陣屋稲荷(かわさき落語草紙,まつ出版 (2008)) 平塚市御殿2 徳川家康によって設けられた御殿の一つ.鷹狩りや駿府訪問に使われた.中原御殿から,噺の中心である小杉御殿を経て江戸に至るのが中原街道.中原小学校の南東隅に中原御殿之碑があるほか,善徳寺の山門は御殿裏門が移設されたものという.
"中原街道てえのは、ご案内の通り、平塚の中原御殿から江戸へ結ぶ街道でございまして"(陣屋稲荷)
相州中原御殿之碑 2016
平塚:花水橋 はなみずばし 慶安太平記(三一談志2:11) 1件1題 (東京1件) 中郡大磯町高麗2〜3 平塚と大磯の間には古花水橋という地名があり,花水川が蛇行していたことがうかがえる.
"平塚の花水橋をチョイと渡って"(慶安太平記)
花水橋 2022
高麗寺山 こうらいじやま 慶安太平記(三一談志2:11) 1件1題 (東京1件) 中郡大磯町高麗 高麗山,標高168m.街道からよく目立つ.山頂までバスの便がある.展望塔からは湘南の海,丹沢の山々が一望できる.
"右が高麗寺山で左が唐土ヶ原"(慶安太平記)
高麗山 2022
唐土ヶ原 もろこしがはら 慶安太平記(三一談志2:11) 1件1題 (東京1件) 平塚市唐ヶ原 今は,唐ヶ原(とうがはら)と呼ばれており,渋滞情報でお馴染み.
"右が高麗寺山で左が唐土ヶ原"(慶安太平記)
唐ヶ原標柱 2022
大磯 おおいそ 能祇法師(騒人名作03:21) など 26件23題 (圓朝5件, 東京21件) 中郡大磯町 鴫立庵の西行から生まれた落語であろう「能祇法師」の印象が強い.「能祇法師」は,大磯に庵を構える能祇のもとに忍び込んだ泥棒の噺.盗まれそうになった伊勢物語の代わりに即吟の俳句を書いた行灯を泥棒にわたす.「盗人の門閉てて行く夜寒かな」.大磯と言えば,曾我五郎の恋人虎御前の出生地でもある.虎御前の墓や,延台寺には十郎の身代わりになったという虎が石がある.大磯の虎が悲しむ姿を思う,虎が雨という言い回しもあった.鴫立庵(拝観有料)の法虎堂には,新吉原が奉納したと伝えられる虎御前の僧形の像が収められる.
"大磯の少し西に寄りました所、先ず相模の方ほとりというこれへ差し掛かると一つの庵室があります"(能祇法師)
鴫立庵鴫立沢碑 2012
祷龍館 とうりゅうかん 恵方詣(講明治大正1:24) など 2件2題 (東京2件) 中郡大磯町大磯 大磯は,明治期の落語に頻出する松本順医師が最初に海水浴を推奨した土地.当時は波に体をもむような海水浴法で,祷龍館はその旅宿だった.松本順の墓は大磯妙大寺にある.
"大磯へ参り、チョイと海水浴でお客さまにお目にかかり(中略)祷龍館のお坐敷へお招きをこうむり"(恵方詣)
松本先生謝恩碑 1998
小磯 こいそ 友千鳥(三友舎 (1892))など 中郡大磯町東小磯・西小磯 東海道大磯にならんだ地域が小磯と呼ばれる.大磯同様に,貴顕紳士の別荘が並んでいた.統監道バス停近くは,宿のはずれをしめす上方見付にあたり,榜示杭が建てられていた.このあたりの松並木で,人情噺の辻斬りや闇討ちが行われる.
"小磯の松原の処えサッサッと来ますると"(友千鳥)
上方見附跡 2016
小ゆるぎ こゆるぎ 大島屋騒動(駸々堂 (1892))など 中郡大磯町あたり 古くから和歌にうたわれた小余綾浜,場所で言えば,前項の照ヶ崎の岩礁や大磯・国府津の砂浜を含む地域のことらしい.「上州機心綾絲」では,小磯に"こよるぎ"のルビがついていた.こゆるぎのいそぎてきつるかひもなく またこそたてれおきつしらなみ(拾遺和歌集)のように,小ゆるぎといそ(磯・急ぐ)を掛けたダジャレ歌が多い.
"ちょうど日の暮に通りかかッたのは小ゆるぎと申しまして"(大島屋騒動)
こゆるぎ浜 2016
国府津 こうづ 社員旅行(芳賀歌奴:10) など 13件10題 (圓朝1件, 東京12件) 小田原市国府津 国府津(こうづ)は列車旅の噺で多く登場する.富士山の北をぐるっと回る急勾配の旧東海道線のために,機関車つけ替えをする交通要衝だった.今は国府津駅で駅弁は扱っていないが,国府津発祥の駅弁屋,東華軒では,前項の"こゆるぎ"の名がついた弁当を小田原駅で販売している.
"大船通りこしたか。弁当だめかね。いえ、国府津で停まりますから、国府津で買います"(社員旅行)
国府津駅開業100周年記念碑 2013
飯泉 いいずみ 鼠小僧闇路初旅(にっかつ談志:4) 1件1題 (東京1件) 小田原市飯泉 碑文によると二宮尊徳夫人は文化2(1805)年,飯泉村の岡田家に生まれたとある.
"相州小田原から二里ばかり在へ入りました、飯泉"(鼠小僧闇路初旅)
二宮尊徳夫人生誕地碑 2001
飯泉観音 いいずみかんのん 鼠小僧闇路初旅(にっかつ談志:4) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 小田原市飯泉1143 真言宗勝福寺.坂東三十三ヶ所第五番.大イチョウは県天然記念物.曾我兄弟が日参し,怪力を授かった.雷電為右衛門が田舎相撲の大岩大五郎を倒す講釈の場.
"此処は阪東三十三ヶ所の観世音の霊場で"(鼠小僧闇路初旅)
飯泉観音堂 2003
松濤園 しょうとうえん 播州めぐり(三一演藝画報復刻:03) 1件1題 (東京1件) 小田原市酒匂3 酒匂川左岸,東海道沿いにあった大規模な料亭,遊園.徳川慶喜も訪れたことがある.今は跡形もないため,絵はがきをあげる.
"兵庫神戸大阪あたりの人が遊びに来る、酒匂の松濤園みたような所だ"(播州めぐり)
松濤園絵はがき 2020
酒匂川 さかわがわ 明烏(講明治大正7:49) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 小田原市 「蝦夷錦古郷之家土産」の道中では東海道で小田原へ渡り,再び飯泉で左岸へ戻る.近くにロイヤルマナーフォートという結婚式場があってビックリした.王家の御料地に建つお屋形で婚礼の儀とはありがたき幸せ.
"二宮尊徳と申す方は幼名を金次郎と申しまして、相州酒匂川在に生まれ"(明烏)
酒匂川 2013
小田原 おだわら 小間物屋政談(集英圓生2:07) など 112件49題 (圓朝10件, 東京100件, 上方2件) 小田原市 大久保加賀守の城下.「抜け雀」,「小間物屋政談」の旅籠.古清水旅館(本町3-5)は小田原宿の本陣を勤めた.小田原名物は,かまぼこ,干物,梅干と数あるが,ういろうも忘れられない.お城作りのお店で,仁丹みたいな透頂香という薬と本家のういろうを扱っている.歌舞伎十八番,「外郎売」でも知られる.
"若狭屋甚兵衛は山をおりて小田原の宿へ"(小間物屋政談)
古清水旅館 2000
小田原城 おだわらじょう 抜け雀(講昭和戦前5:07) など 14件4題 (東京13件, 上方1件) 小田原市城内 北条氏時代は町ぐるみ小田原城域だった.江戸期は「抜け雀」の大久保加賀守の領地.今の天守はコンクリ造りで,登城有料.
"その男が江戸から帰りに立ち寄ったら、必ず城内へ沙汰をいたせ"(抜け雀)
小田原城天守閣 2011
小田原:幸町 さいわいちょう 小間物屋政談(青圓生12:08) 1件1題 (東京1件) 小田原市本町あたり 1875(明治8)年以後につけられた町名.マゲものには使えない.
"若狭屋甚兵衛は小田原幸町の布袋屋という宿へ着きました"(小間物屋政談)
幸町バス停 2000
早川 はやかわ 慶安太平記(三一談志2:11) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 小田原市早川 秀吉が張りぼてで作り上げて,小田原勢を驚嘆させた一夜城で知られる.早川駅から徒歩1時間弱.野面積の石垣が残る.
"三枚橋から早川の流れを右に"(慶安太平記)
石垣城井戸曲輪 2003
石橋山 いしばしやま 毛氈芝居(講昭和戦前4:15) など 9件6題 (圓朝2件, 東京6件, 上方1件) 小田原市石橋 治承4(1180)年,源頼朝が平家討伐に挙兵した古戦場.伊東祐親らに敗れ,安房へ敗走した.与一塚,ねじり畑などがある.
"予の先祖は石橋山の戦争にて討死を致したの(中略)その折に毛氈はなかったか"(毛氈芝居)
石橋山古戦場 1997
真鶴 まなづる ゆうもあ探偵(新風裸か:34) 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 足柄下郡真鶴町 真鶴(まなづる).新作1件のみ.奥湯河原と真鶴に,頼朝が身を潜めたいわれのある鵐の窟(しとどのいわや)がある.真鶴の方はバス停魚市場のそば.崩壊が進み,こんな小さな穴ぼこでは隠れることも難しい.湯河原の方は,水がしたたる窪地.バス停からかなり歩く分だけ,こっちの方がありがたみがある.
"三人でマナヅルの海岸に来て今日が二日目である"(ゆうもあ探偵)
真鶴の鵐窟 2011
湯河原 ゆがわら 鰻の幇間(立文楽2:07) など 19件11題 (圓朝5件, 東京14件) 足柄下郡湯河原町 万葉集にもうたわれるという古い温泉.猛暑の中,幇間が置屋を訪ねたら,姐さん湯河原へ湯治で空振り.湯河原の裏山に登ってみたら,町内へ配る巨大な貯湯タンクが藤木川沿いにいくつもあった.老舗温泉旅館の廃業がめだち,厳しい状況らしい.
"エエ、姐さんは?あの湯河原ィ湯治に行きました"(鰻の幇間)
湯河原温泉 2013
湯河原:不動の瀧 ふどうのたき ロケーションと不動様(サンデー毎日,11(25) (1932)) 足柄下郡湯河原町宮上 「ロケーションと不動様」は,『サンデー毎日』に載った正岡容の新作落語.素人に毛が生えたようなプロダクションが,行き当たりばったりに湯河原の不動滝で映画撮影をするドタバタ喜劇.不動滝は湯河原五大滝(白雲の滝,清水の滝,五段の滝,だるま滝,不動滝)の一つで,バス停から近く交通の便が良い.落差は15mもある.滝の左に己我和利不動尊の堂があるが,現在は近づけない.右手にも出世不動尊が祀られている.滝壺付近で見つけられた新鉱物は,湯河原沸石と名づけられている.
"お、いつてるうちに不動の瀧だ。怪ちやん、この不動様で何か撮る趣向はないかい"(ロケーションと不動様)
不動滝 2022
入生田 いりうだ 笠と赤い風車(毎日三百年3:14) など 2件1題 (東京2件) 小田原市入生田 「笠と赤い風車」は,平岩弓枝作の新作落語で,林家正蔵(8)が演じた.入生田(いりうだ)の紹太寺は巨刹だったが,明治期に焼けて寺は丘下の子院に移った.大久保家の後の小田原藩主稲葉家の墓が山の上にある.
"新しい笠を、買ってかぶって、入生田から、山崎、三枚橋"(笠と赤い風車)
紹太寺稲葉氏歴代墓 2001
山崎 やまざき 笠と赤い風車(青正蔵1:22) など 2件1題 (東京2件) 足柄下郡箱根町湯本 引き続き,「笠と赤い風車」の道中付け.山崎古戦場という碑があるが,明治維新の官軍と浪士の衝突のこと.
"新しい笠を、買ってかぶって、入生田から、山崎、三枚橋"(笠と赤い風車)
山崎ノ古戦場碑 2001
三枚橋 さんまいばい 笠と赤い風車(青正蔵1:22) など 3件2題 (東京3件) 足柄下郡箱根町湯本 東海道,湯本への入口.川は早川.
"新しい笠を、買ってかぶって、入生田から、山崎、三枚橋"(笠と赤い風車)
三枚橋 2003
箱根七湯 はこねしちとう 義太夫がたり(講明治大正7:38) など 5件3題 (圓朝1件, 東京4件) 足柄下郡箱根町 箱根に点在する7つの名湯をめぐる贅沢な遊山.個別名としてはすべては出てこない.湯本,塔之沢,堂ヶ島,底倉,宮ノ下,木賀,芦の湯の7つ.今は範囲も広げて十七湯とインフレしている.堂ヶ島入口には圓朝のしのぶ碑があった.
"小田原へ出て箱根の七湯へ廻りましょう"(義太夫がたり)
     
湯本 ゆもと 絵手紙(偕成少年11:12) など 6件5題 (圓朝2件, 東京4件) 足柄下郡箱根町湯本 箱根七湯の一つ.ここからが箱根"登山"鉄道の本領,3回のスイッチバックに80‰の急勾配.土木遺産と近代産業遺産に認定されている.
"横浜で汽車をおりると(中略)湯本あたりの温泉宿で一泊となる"(絵手紙)
箱根登山鉄道箱根湯本駅 2013
塔之沢 とうのさわ 箱根山(講昭和戦前6:24) など 4件4題 (東京4件) 足柄下郡箱根町塔之澤 箱根七湯の一つ.箱根駅伝の名所,函嶺洞門を過ぎると塔之沢の温泉街になる.用例は,戦前の金語楼を代表する作品で,軍需景気で小金持ちになった家族が箱根の温泉に押しかける落語.強羅を甲羅,塔之沢を棒の沢と聞き違えている.
"何を言ってるんだ。箱根山だよ。甲羅だの棒の沢なんて、そんなとこへ行くんじゃアない"(箱根山)
函嶺洞門 2020
塔之沢:環翠楼 とうのさわ 浮れ小僧(爆笑漫才と落語集, 春江堂 (1939)) 足柄下郡箱根町塔之澤 「浮かれ小僧」は,この本でしか見たことがない珍しい噺.小僧を詰問して若旦那の居所を聞き出そうとする「おせつ徳三郎」に似た落語.環翠楼は塔之沢を代表する旅館.元湯を名乗り,古木を使った重厚な建築が目を引く.
"其の時環翠楼で芸妓を助けたつていふお話でしたね"(浮れ小僧)
環翠楼 1999
堂ヶ島 どうがしま   足柄下郡箱根町宮ノ下 箱根七湯の一つ.具体名としては登場しない.谷底にあり,自家用ケーブルで降りる. 堂ヶ島温泉 1999
宮ノ下 みやのした 三十三年目の喧嘩(東峰今輔:08) など 3件3題 (東京3件) 足柄下郡箱根町宮ノ下 箱根七湯の一つ.奥にあるのが外国人に重用された富士屋ホテル.
"あれは箱根だったな。宮の下へ行ったときですヨ。紅葉が見ごろでネ"(三十三年目の喧嘩)
宮ノ下バス停 1999
木賀 きが 汐留の蜆売り(弘文志ん生1:11) など 3件2題 (圓朝1件, 東京2件) 足柄下郡箱根町木賀 箱根七湯の一つ.旅館は数軒しかない.
"箱根の木賀の湯治場の、亀屋という家でもって"(汐留の蜆売り)
木賀温泉 1999
底倉 そこくら 三題続燕口紅(東京絵入新聞 (1887)) 足柄下郡箱根町小涌谷 箱根七湯の一つ.人情噺に具体名が出てきた.早川沿い.太閤石風呂は秀吉が入浴したと言われる川底の湯壺.
"箱根七湯の内にも底倉より木賀へ参り升る道の見晴しの茶屋は実に絶景の勝地で"(三題続燕口紅)
底倉温泉太閤石風呂 1999
芦の湯 あしのゆ 小間物屋政談(青圓生12:08) など 3件1題 (東京3件) 足柄下郡箱根町芦之湯 箱根七湯の一つ.豊富な湯量を保つ硫黄泉.写真は獅子文六の『箱根山』執筆にちなむ碑.
"てまえは生来病身でございますが、箱根の蘆の湯がたいそういいというので"(小間物屋政談)
松坂屋獅子文六文学碑 2001
箱根 はこね 無筆の女房(講明治大正3:19) など 102件70題 (圓朝13件, 東京74件, 上方15件) 足柄下郡箱根町 箱根山中では「盃の殿様」が大名と盃のやりとり.初花は,「箱根霊験躄仇討」の主人公.夫婦で敵討に出るが,夫の勝五郎はもはや歩けない.妻の初花は,滝に打たれ,箱根権現に祈願する.哀れ,初花は返り討ちにあうが,霊験により夫は本懐をとげる."紅葉のあるのに雪が降る"が有名なセリフ.初花の像を収める初花堂と飯沼勝五郎・初花の比翼塚は須雲川の鎖雲寺にある.地図に載っている初花の滝は,遠くから望めるという.
"江の島から鎌倉を見物して箱根の湯治場に参りまして"(無筆の女房)
初花像 2013
箱根山 はこねのやま 箱根山(講昭和戦前6:24) など 83件41題 (圓朝2件, 東京71件, 上方10件) 足柄下郡箱根町 "箱根八里は馬でも越すがこすに越されぬ大井川".「三人旅」でもおなじみの馬子唄."箱根山駕籠に乗る人かつぐ人,そのまた草鞋をつくる人"だと「夢金」の熊蔵.歌碑は芦ノ湖手前の旧街道沿いにある.新作「箱根山」は,"ぜいたくは敵だ"の戦前に生まれたのだが,戦後の成金家族に置きかわっても笑えること受けあい.
"アレッ、皆な箱根山てえと考えやがる。昔からある箱根山だよ。この頃なくなったか"(箱根山)
箱根八里歌碑 2001
二子 ふたご 鳴神阿金の譚(諸芸新聞 (1881)) 足柄下郡箱根町 美文調の文句で,二子山と足柄山が出てくる.箱根カルデラの中央火口丘で,東が下二子山(1065m),西が上二子山(1099m)と呼ばれるが,それぞれ単独の頂部ではない.当たりをつけて,お玉ヶ池でバスを降りてみたところ,二子山とは言いながら,4つほどのピークが見えた.
"山又山ハ嵯峨として、二子足柄最(い)と高く"(鳴神阿金の譚)
二子山 2020
曽我の五郎の手玉石 そがのごろうのてだまいし とろゝん(講明治大正7:26) 1件1題 (東京1件) 足柄下郡箱根町か 速記本文に"手玉石"とあるが,見つからなかった.曽我の五郎鑓突石は湯本の正眼寺内に現存する.権五郎の手玉石は,鎌倉の御霊神社にある.
"箱根山にも名所がござる、曾我の五郎の手玉石"(とろゝん)
曽我の五郎鑓突石 2003
箱根旧道 はこねきゅうどう 義太夫がたり(講明治大正7:38) 1件1題 (東京1件) 足柄下郡箱根町 三枚橋から先に石畳が何ヶ所か残っている.ハイカーの数は半端じゃない.甘酒茶屋から元箱根までがお勧め.
"箱根の旧道を下がって三島の明神様へお参りをして"(義太夫がたり)
箱根旧街道石畳 2013
甘酒茶屋 あまざけぢゃや 盃の殿様(騒人名作06:08) など 4件1題 (東京4件) 足柄下郡箱根町畑宿 何軒か甘酒を売る店があったが,この1軒が残った.青黄粉の力餅も名物.講談「神崎与五郎の詫証文」の舞台.
"箱根へ掛かりますと、彼の甘酒を売る婆の、四五丁手前にて、いずれの諸公か存じませんが、お供先をば"(盃の殿様)
甘酒茶屋 2001
老ヶ平 おいがたいら 八重葵噂天一(三友舎 (1892)) 足柄下郡箱根町畑宿 笈平(おいのたいら).親鸞聖人一行が箱根路を越えようとした時,弟子の性信房に東国の教化を指示して別れた場所.笈平碑の横には,親鸞聖人の,やむ子をばあづけてかへる旅乃空 こころはここにのこしこそすれ,の歌碑も立っている.バス停甘酒茶屋から徒歩すぐ.
"東海道箱根の老ヶ平という所にいる胡麻の灰の頭で"(八重葵噂天一)
笈平碑 2019
箱根の関所 はこねのせきしょ 三人旅(筑摩古典03:03) など 13件10題 (圓朝4件, 東京9件) 足柄下郡箱根町箱根 資料をもとに関所が復元され,2007年に公開された.人見女に髪の毛まで探られている娘がエロ悲しそうだったのが印象的だった.今は全員モノトーンの人形になってしまい,見世物的興味が薄くなっている.刺又,突棒,袖がらみの捕具三点セットはあいかわらず展示されていた.
"ここンとこは東海道の喉ッ首でな、お関所があるんだよ、他所ァ廻り道をしてみろ、関所破りてえことンならあ"(三人旅)
箱根の関所の捕具 2013
芦ノ湖 あしのこ 悋気の見本(立名人名演08:18) 1件1題 (東京1件) 足柄下郡箱根町 西側が箱根の外輪山,東側が箱根山(神山)にはさまれた南北に細長い湖.北から流れ出した早川が箱根山をぐるっと回って小田原へ流れている.南東部が箱根の関所がある観光拠点.ここと北側の湖尻を遊覧船が結んでいる.湖尻からは,さらにロープウェイとケーブルカーで強羅につながっていて,ぐるっと回遊して遊べる最高の観光地.
"箱根へいらっしゃって湯本・塔の沢、大湧谷・小湧谷、芦の湖、残らずご見物"(悋気の見本)
芦ノ湖海賊船 2013
箱根権現 はこねごんげん 八重葵噂天一(三友舎 (1892))など 足柄下郡箱根町箱根 箱根神社.箱根権現は神仏分離前の名前.背後に駒ヶ岳を控える山岳信仰の聖地.武家の信仰厚く,旧国弊小社に列していた.湖水に突きだした平和鳥居は戦後に建てられたものだが,対岸からでもよく目立つ.
"将軍家光公京都に御遊歴のみぎり函根山権現の鳥居前へ御駕籠が下りると"(八重葵噂天一)
箱根神社平和鳥居 2001
強羅 ごうら 箱根温泉(新風金語楼1:03) など 2件2題 (東京2件) 足柄下郡箱根町強羅 避暑地,別荘地として大正初期に開発された.フランス式庭園が造られ,ここまで登山鉄道が敷設されている.
"箱根の温泉というと、強羅ですか、宮の下、塔の沢……"(箱根温泉)
強羅を望む 1999
小涌谷 こわくだに 悋気の見本(立名人名演08:18) 1件1題 (東京1件) 足柄下郡箱根町小涌谷 強羅へ行くまでの途中.真冬の訪問では,箱根外輪山からの漏水による千条の滝が凍っていた.
"箱根へいらっしゃって湯本・塔の沢、大湧谷・小湧谷、芦の湖、残らずご見物"(悋気の見本)
千条の滝 1999
大涌谷 おおわくだに 悋気の見本(立名人名演08:18) 1件1題 (東京1件) 足柄下郡箱根町仙石原 元は大地獄などと言った.写真も噴煙で何だかわからない.真っ黒な温泉玉子が名物.火山警報が引き揚げられると,立ち入りできないことがある.
"箱根へいらっしゃって湯本・塔の沢、大湧谷・小湧谷、芦の湖、残らずご見物"(悋気の見本)
大涌谷 1999
足柄山 あしがらやま うどんや(講落語全集2:25) など 3件1題 (東京3件) 南足柄市あたり 箱根火山の外輪山.金太郎の生家跡や金太郎が遊んだ石がある.東海道以前の官道が通る.
"足柄山で育ったから、怪童丸時分には熊と角力も取ったろう"(うどんや)
金太郎 かぶと石とたいこ石 2001
道了尊 どうりょうそん 小間物屋政談(青圓生12:08) など 10件5題 (東京10件) 南足柄市大雄町1157 曹洞宗大雄山最乗寺.道了は寺を造ると大天狗となった.御真殿は道了尊を祀る.「派手彦」では,無骨な番頭の手を,道了様の羽団扇にたとえている.
"そのうち道了さまの講中がおおぜい、どかどか、どかどか、つめかけてまいりました"(小間物屋政談)
最乗寺奥の院参道 2016
矢倉沢 やぐらざわ 東海道五十三次(かわさき落語草紙,まつ出版 (2008)) 南足柄市矢倉沢 足柄山のふもと,矢倉沢往還に矢倉沢関所が設けられていた.大雄山駅からバス.民家の庭先に関所跡の碑がある.北の方,裏関所跡にも表示があった.
"箱根御番所に 矢倉沢がなけりゃ 連れて逃げましょ お江戸まで"(東海道五十三次)
矢倉沢関所跡 2016
河村 かわむら 河村瑞賢(にっかつ談志:5) 1件1題 (東京1件) 足柄上郡山北町山北か 新作の河村瑞賢伝に登場する.河村氏の出身地.河村城は御殿場線山北駅が最寄りになるが,足柄峠からのバスの一部が近くの内山まで行くので,両者のかけもち訪問もできる.
"相模ノ国河村に居りましたため、所の名を姓といたしまして"(河村瑞賢)
河村城址 2001
松田 まつだ 富士詣り(騒人名作06:17) など 2件1題 (東京2件) 足柄上郡松田町 かつては鮎が名産.東海道旧線(御殿場線)の鮎寿司駅弁は人気品だった.鮎塚碑は,1958年に観光協会らが建てた.
"汽車の便利がありますために、僕は松田で下りる、イヤ僕は国府津で下りる"(富士詣り)
鮎塚 2001
秦野 はたの 烟草の競争(講明治大正5:56) 1件1題 (東京1件) 秦野市 秦野(はだの).日本三大名葉の一つに数えられた秦野煙草だったが,1984年に葉煙草生産は終了した.タバコの名産地だったことを記念し,今もたばこ祭が行われる.秦野煙草音頭は,1948年に公募により詞がえらばれた.JAはだのの敷地内には,楽譜の形をした歌碑と,煙草づくり功労者の顕彰碑,喫煙所がある.なさけの露で濡れたりして,結構色っぽい歌詞が書かれていた.「片手屋」という人情噺でも,畑という土地で煙草屋を開くとある.秦野のことではないか.
"「これは秦野だ」「ウン、なるほど………」"(烟草の競争)
秦野煙草音頭碑 2020
丹沢山 たんざわやま 吾妻の猪買い(定本 九州吹戻し, 新人物往来社(2001)) 足柄上郡山北町,津久井郡津久井町,愛甲郡清川村 江戸落語版の「池田の猪買い」.猪の出る土地に描かれる.
"猪の名所と申すは此の日の本に四箇所ある(中略)相模之国は丹沢山の奥深く"(吾妻の猪買い)
丹沢山系 2024
大山 おおやま 大山詣り(青圓生04:01) など 48件13題 (東京48件) 伊勢原市大山 夏の定番落語,「大山詣り」があるため頻出する落語地名.阿夫利神社の用例(新評世界4:08など)もある.「大山詣り」では参詣している場面はない.講中がそろって両国の垢離場で身を清め,木太刀を納めるのがならい.唱える文句が,"さんげさんげ六根罪障おしめにはったい金剛童子大山大聖不動明王石尊大権現大天狗小天狗".「梅若礼三郎」に出てくる.十六丁目の追分に建つ巨石にも,新吉原町中 奉獻石尊大權現大天狗小天狗御寳歬(前の異体字)とある.
"富士詣り・道了尊、あるいは大山詣りなどで、中で大山はいちばん江戸に近いというので、たいそう繁昌したものだそうで"(大山詣り)
追分石塔 2011
大山:滝 たき 富士参り(講明治大正6:18) 1件1題 (東京1件) 伊勢原市大山 大山に参詣する際に垢離を取った.元滝,愛宕滝,良弁滝,禊の大滝,八段の滝,二重滝(にじゅうのたき)の6つが代表的な滝で,大山六滝と呼ばれる.山麓の参道沿いの愛宕滝,良弁の滝と元滝は,比較的アクセスがよい.垢離場のような規模.二重滝は,山腹の下社から徒歩10分ほどのところにあり,スケールの大きな自然の滝らしい滝だった.
"大山には滝がありますぜ"(富士参り)
二重滝 2002
大山:阿夫利神社 あふりじんじゃ 大山詣り(柳家小満ん口演用てきすと その一つ,てきすとの会 (2015)) など 2件1題 (東京2件) 伊勢原市大山 ケーブルカーで登れるところが下社で,標高1252mの大山山頂に本社が祀られている.大山祗大神の社殿の脇にあるご神木には,常に露がしたたることから雨降木と呼ばれる.阿夫利山とあるが,雨降山の表記の方がなじみ深いかも.
"山頂には阿夫利神社が祀って厶いますので、一名、阿夫利山といって"(大山詣り)
大山山頂阿夫利神社 2011
海老名 えびな 京鹿子血染振袖(人情世界, 1-5 (1896)) 海老名市 海老名には相模国の国分寺が置かれていた.訪問時にはまったく気づかなかったが,駅そばの商業施設ビナウォーク内に国分寺にあった七重塔がモニュメント化されている.本物の跡地には礎石しかなく,その向かいには海老名村役場だった温故館が移築されている.郡役所洋式で建てられた木造洋館で,中にはお決まりの考古資料,民俗資料が展示されていた.
"喜三郎が強盗殺人罪を犯しましたのは神奈川県高座郡海老名町の農道田太左衛門"(京鹿子血染振袖)
国分寺と温故館 2019
海老名インターチェンジ えびないんたーちぇんじ 盃の殿様(柳家小満ん口演用「てきすと」 8, てきすとの会 (2015)) 海老名市 盃をかついで東海道を行く,早足のたとえ.ややこしいが,海老名インターチェンジは圏央道にある出入り口,海老名サービスエリアは東名高速の人気スポット,海老名ジャンクションは両者の交点にある.
"もう海老名のインターチェンジを通過していたという、えらい勢いで"(盃の殿様)
海老名インターチェンジの道路案内 2020
座間 ざま 人生が二度あれば(春風亭昇太ひとり会 はじめての落語。, 東京糸井重里事務所 (2005)) 座間市 春風亭昇太師の新作落語.米軍の機銃掃射で重傷を負った柳昇師匠が,公演会場の屋上から米軍のキャンプ座間を見下ろし憤慨する場面.おそらく文化会館隣の市役所展望回廊のことだろうが,実際には米軍基地はこの程度しか見えない.
"神奈川の座間というところに仕事に行ったんです"(人生が二度あれば)
キャンプ座間を望む 2007
半原 はんばら 左甚五郎(青圓生13:14) など 4件1題 (東京4件) 愛甲郡愛川町半原か 落語曰く,彫刻家を輩出したという相州半原.現在はネクタイが名産.藤野 青蓮寺の妙見堂を作った右中・左中兄弟は半原出身とのこと.
"野州で日光、相州半原、城州伏見という、これァまァ、昔ッからいい職人の出る土地としてある"(左甚五郎)
半原で見つけた彫刻 2002
小原 おはら 鼠小僧闇路初旅(にっかつ談志:4) 1件1題 (東京1件) 相模原市緑区小原 講談をアレンジした鼠小僧の噺に,甲州街道の3つの宿場が名前だけ出てくる.小原は甲州街道の宿で,神奈川県内に残る唯一の本陣遺構がある.一般公開されている.
"武蔵と相模の境、小原へ出まさァ"(鼠小僧闇路初旅)
小原宿本陣 1997
相模湖 さがみこ 夜店(新風ミニ:006) 1件1題 (東京1件) 相模原市緑区 桂川に設けられた水源用ダム湖.湖岸を歩いていたら,さかんに湖内でエアレーションしているのを見かけたが,水は相当に汚かった.ちょうど勝瀬橋あたりで甲州街道も川を渉っていた.
"いうなれば貯水池みたいなものだ。東京ならばさしづめ村山か相模湖"(夜店)
相模湖勝瀬橋 1997
吉野 よしの 鼠小僧闇路初旅(にっかつ談志:4) 1件1題 (東京1件) 相模原市緑区吉野 甲州街道の宿.小原,与瀬宿の次.見るべき所は見つからなかった.
"厭な噂ばっかりよ。吉野宿で強盗が人を斬ったの"(鼠小僧闇路初旅)
吉野神社 1997
関野:本陣 ほんじん 鼠小僧闇路初旅(にっかつ談志:4) 1件1題 (東京1件) 相模原市緑区小渕 甲州街道の宿.関野宿本陣は藤野駅から約1km西方右側に位置し,銘板が建てられているだけ.
"関野の宿の本陣で強盗働き"(鼠小僧闇路初旅)
関野宿本陣銘板 1997

掲載 050805/最終更新 240401

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