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大田区   
あれから堤方を離れて道塚へ出て、徳持村の靈巌寺を横に見て西塚村へ出る畑中の小高い處、此方は藪疊の屏風の樣になつて居る草原の處を通り掛ると
 (三遊亭圓朝(1) 「松の操美人の生埋」)
  鈴木行三編,『圓朝全集』 第五巻,春陽堂(1926)

地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年月
大森 おおもり 粟田口霑笛竹(角川円朝2:01) など 44件33題 (圓朝7件, 東京37件) 大田区大森北,大森西あたり → 北村辞典.東海道大森の立場.モースが発見した大森貝塚の碑は駅山側を北へ行った線路際(山王1-3).品川区にも大森貝塚がある.大森といえば海苔の産地,浅草海苔として知られていた.もう一つの名産が「三人旅」に出てくる麦藁細工,土産物に重宝された.
"往復十四里と申しますが、鈴が森のお仕置場、大森の東叡山領等と申す除地がござりますからかれこれ十五里ばかりの道"(鶴殺疾刃庖刀)
大森貝墟碑 0511
大森海岸 おおもりかいがん これでも古いか(集英ヤング寄席:02) 1件1題 (東京1件) 大田区大森本町あたり 狸が魚に化ける「これでも古いか」のサゲ場面は海岸になる.上方では堺の浜らしいが,東京では大森海岸でサゲるのがオーソドックスかどうか知らない.今でこそ埋め立てが進んでしまったが,海水浴場として有名だった      
鈴森八幡 すずがもりはちまん 鶴殺疾刃庖刀(角川円朝7:02) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 大田区大森北2-20 → 北村辞典.磐井神社.鈴石,烏石という銘石を所蔵する.鈴石は振ると鈴の音,烏石はカラスの姿が浮き出た石.烏石碑は服部南郭文,烏石葛辰書でこちらの方が有名になった.
"大井村のただいまでは大井神社と称えますは、以前は延喜式内の磐井の神社で、里俗鈴が森八幡と称えます"(鶴殺疾刃庖刀)
磐井神社烏石碑 1105
郷土資料館 きょうどしりょうかん 肥辰一代記(新作落語傑作読本,白夜書房 (2011)) 大田区南馬込5-11か おそらく大田区立郷土博物館のことだろう.大田区の発掘遺跡,特産の海苔養殖,馬込文士村などを紹介.「肥辰一代記」は,汚穢屋に憧れる青年を描いた三遊亭円丈の新作落語.郷土資料館で肥瓶を見たというマクラだが,実際には置いてあったのは藍瓶だった.落語に関係するものとして,大森名産の麦藁細工(「三人旅」)がいろいろ展示してあった.蛇のように編んだものを想像していたが,虎に代表される立体的な造形や,貼り合わせの細工箱の2種類が置いてあった.写真は最古の細工物で,かなり大ぶり.虎は,首を振ることで有名なのだが,そこまではわからなかった 大森名物麦藁細工 1202
新井 あらい 本堂建立(騒人名作02:04) 1件1題 (東京1件) 大田区山王,中央あたり 新井宿.大森駅の西側,池上道(初期の東海道)の宿場.山王〜八景坂あたりの大字名.近くまで新井宿や入新井の名が残っていた.かなり南にあたるが,蒲田駅近くに新井宿踏切がある 新井宿踏切 1204
池上 いけがみ 鰍沢(講明治大正7:37) など 10件7題 (圓朝4件, 東京6件) 大田区池上1 → 北村辞典.千束池の上が由来ともいう.日蓮は池上宗仲公の邸で没した.今の大坊本行寺で,ご臨終の間が公開されている.御会式桜は,日蓮忌の10月に花を咲かせる.池上宗仲は,広大な土地を寄進し,本門寺の基礎となった.
"ちょうど十月十二日池上のおこもりで、ただいまもって盛りまするが"(松の操美人の生埋)
大坊御会式桜 1102
本門寺 ほんもんじ 山号寺号(三一談志1:01) など 23件14題 (圓朝2件, 東京21件) 大田区池上1 → 北村辞典.日蓮宗大本山長栄山本門寺.日蓮入滅の地.戦災で総門,五重塔,経蔵,宝塔を残して焼失.10月のお会式には臨時列車が出るほどの人出がある."一貫三百ァどうでもいい ドンツクドンドン"は「小言念仏」のマクラ.写真の五重塔は国重文.屋根からしたたる銅を蓄えたホンモンジゴケの発見地.
"上人が池上の本門寺にてみまかられ、遺骨を身延山へ持って行き"(谷文晁の伝)
本門寺五重塔 1102
本門寺:祖師堂 そしどう 火中の蓮華(立名人名演01:04) 1件1題 (圓朝1件) 大田区池上1 もともとは,寄進者の加藤清正が兜をかぶったまま床下を通れたとか,騎馬武者が通れたとかいう巨大な建物だったという.そのため大堂と呼ばれた.宝永7(1710)年に焼失.再建された大堂も1945年4月15日の空襲で焼けた.かつては祖師堂とならんでおり,橋がかりとなっていた.1964年に再建されたコンクリート造りのお堂が現在の大堂.祖師像を安置する.
"彼の釈迦堂から祖師堂へ渡る所に橋がかかっておって"(火中の蓮華, 名人名演落語全集, 立風書房(1982))
本門寺大堂 1102
本門寺:釈迦堂 しゃかどう 火中の蓮華(立名人名演01:04) 1件1題 (圓朝1件) 大田区池上1 1945年4月15日の空襲で焼けた釈迦堂を1969年に再建したのが、現在の本殿.かつては祖師堂(大堂)とならんでおり,橋がかりとなっていた.現在は大堂の奥の方に場所が移っている.釈迦像菩薩像を安置.
"彼の釈迦堂から祖師堂へ渡る所に橋がかかっておって"(火中の蓮華, 名人名演落語全集, 立風書房(1982))
本門寺本殿 1102
本門寺:長栄稲荷 ちょうえいいなり 応文一雅伝(圓朝讀賣新聞:2) など 2件2題 (圓朝2件) 大田区池上1 本門寺の中心伽藍は高台にある.正面96段の石段,此経難持坂上の右側に長栄稲荷はある.長栄大威徳天だが,長栄稲荷で通っている.確かに何体も狐の石像が配されている.佐渡塚原に配流された日蓮を通力で守護したという.圓朝の「応文一雅伝」と「谷文晁の伝」で登場.
"池上には老狐がいるに違いない、長栄稲荷というのは、日蓮上人のお使姫だてえが"(応文一雅伝)
長栄堂 0509
本門寺:理境院 りきょういん 火中の蓮華(立名人名演01:04) 1件1題 (圓朝1件) 大田区池上1 14世紀元享年間の開基で池上三院の一.本門寺総門を入ってすぐの左側.理境院妙性日貞にちなんだ寺号.赤門が許されている.
"東京府下池上村本門寺寺中理教院の弟子でございます"(火中の蓮華,名人名演落語全集,立風書房(1982))
理境院山門 0509
堤方 つつみかた 松の操美人の生埋(角川円朝6:04) 1件1題 (圓朝1件) 大田区池上1あたり 池上1あたりの広い範囲.本門寺脇に堤方神社が残る.「松の操美人の生埋」の冒頭の道中付け.北村辞典に漏れている.
"あれから堤方を離れて道塚へ出て、徳持村の霊厳寺を横に見て西塚村へ出る畑中の小高い所"(松の操美人の生埋)
堤方神社神輿庫 0509
池上の温泉 いけがみのおんせん 火中の蓮華(立名人名演01:04) 1件1題 (圓朝1件) 大田区池上1 明治期に開かれた鉱泉で,今のめぐみ坂にあった.料亭の一,曙楼の門柱が坂下の妙雲寺に最近まで残っていた.大森めぐみ教会のところに銘板がある.
"この池上の温泉で松葉館というがございます"(火中の蓮華,名人名演落語全集,立風書房(1982))
曙楼門柱跡銘板 0509
徳持 とくもち 松の操美人の生埋(角川円朝6:04) 1件1題 (圓朝1件) 大田区池上7あたり 池上駅の周辺.徳持町の名は消えたが,徳持の名は学校,公園などに残る.「美人の生埋」の冒頭の道中付け.北村辞典に漏れている.
"あれから堤方を離れて道塚へ出て、徳持村の霊厳寺を横に見て西塚村へ出る畑中の小高い所"(松の操美人の生埋)
徳持神社 0902
道塚 みちつか 松の操美人の生埋(角川円朝6:04) 1件1題 (圓朝1件) 大田区新蒲田あたり 道塚町や目蒲線(現多摩川線)の道塚駅があったが,今は味気ない新蒲田となる.道塚の名は神社,公園などに残る.「美人の生埋」の冒頭の道中付け.北村辞典に漏れている.なお,道中付けにある西塚は不明.
"あれから堤方を離れて道塚へ出て、徳持村の霊厳寺を横に見て西塚村へ出る畑中の小高い所"(松の操美人の生埋)
道塚神社建設記念碑 0902
和中散 わちゅうさん 神奈川宿(騒人名作06:02) など 2件1題 (東京2件) 大田区蒲田2,3 → 北村辞典.道中薬和中散を扱う茶店で数軒あった.東海道石部の和中散にならい梅を植えていたので,梅屋敷と呼ばれた.京急梅屋敷駅そばに,山本の茶屋跡(粟田口霑笛竹)の梅林がある 梅屋敷あと 0510
蒲田 かまた 鶴殺疾刃庖刀(角川円朝7:02) など 8件6題 (圓朝1件, 東京7件) 大田区蒲田あたり → 北村辞典.松竹蒲田撮影所があった.戦前のことだが,映画「キネマの天地」や「蒲田行進曲」で記憶に残る.1936年に大船撮影所に移転.跡地の大田区民ホール内には,松竹橋の親柱と撮影所のジオラマ展示がある.JR蒲田駅の発車メロディも「蒲田行進曲」.
"ようやく蒲田の立場までまいり、馬の口を洗い"(鶴殺疾刃庖刀)
松竹橋 1105
羽田空港 はねだくうこう 品川の豆(立艶笑文庫3:40) など 9件5題 (東京9件) 大田区羽田空港 → 北村辞典.東京国際空港.埋め立てによる拡張が続き,とうとう大田区は東京23区で一番大きな区になった.写真の鳥居は進駐軍に撤去されようとするたび事故が起きた穴守稲荷の鳥居.羽田空港拡張工事まで敷地内に残っていた 穴守稲荷鳥居 8802
穴守稲荷 あなもりいなり 品川の豆(立艶笑文庫3:40) など 9件5題 (東京9件) 大田区羽田5-2 → 北村辞典.もとは羽田空港敷地内にあたる.進駐軍の接収により移転を余儀なくされ,現在地(羽田5-2)へ.その名から水商売の女性に人気があった.奥の宮には,うずたかく積まれた鳥居の数々.稲荷のお砂が授与される 穴守稲荷奥の宮 0902
穴守橋 あなもりばし 巌流島(騒人名作08:02) など 2件1題 (東京2件) 大田区羽田4〜羽田空港1 穴守稲荷にちなむ名だが,なぜか航空機の意匠.川は海老取川.当時は今の稲荷橋付近.かつて,穴守線(空港線)は終着の羽田空港駅でプッツリと終わっていた.しかし,その先にも稲荷旧地に向かう鉄橋の残骸が残っていた記憶がある.空港に行けない羽田空港駅は不思議なスポットだった.写真奥の骨組みは,空港向けの巨大ネオンサインの残骸 穴守橋 9908
羽田 はねだ 粟田口霑笛竹(角川円朝2:01) など 9件9題 (圓朝3件, 東京6件) 大田区羽田あたり → 北村辞典.「粟田口霑笛竹」描く羽田は,寒風吹きすさぶ田舎の漁師町.実際は多摩川河口沖の海産物と,多摩川の水運で豊かな土地だという.そういえば,今でも羽田沖のアナゴは有名.ヨコタでおいでと御輿を大きく揺する勇壮な祭でも知られる.かつての多摩川の流れに沿って,写真のようなイギリス積みの赤煉瓦の堤防が築かれた.羽田2〜6丁目にかけて,くねくねと残っている.
"重三郎の親父は梨子売を致す重助と申す者で、川崎在の羽根田村に身貧に暮しておりまする"(粟田口霑笛竹)
煉瓦の堤防 1105
羽田の弁天 はねだのべんてん 粟田口霑笛竹(角川円朝2:01) 1件1題 (圓朝1件) 大田区羽田空港2 → 北村辞典.玉川弁天.島状の州である鈴木新田から,接収により現在地(羽田6-13)へ移転した.空港拡張で元の位置はもはや判別できない.
"そんなら私は羽根田の弁天様へ酒をたとうといって、親父と手を引き合って弁天さまへ参詣して願掛けをした"(粟田口霑笛竹)
玉川弁天 0808
羽田の渡 はねだのわたし 粟田口霑笛竹(角川円朝2:01) 1件1題 (圓朝1件) 大田区羽田2〜神奈川県川崎市川崎区殿町 羽田から川崎へ渡す多摩川の渡船.六郎左衛門の渡しという.現在の大師橋あたりで,川崎大師道.「仇娘好八丈」にも"羽根田の渡船"として出てくる.羽田2-30先の土手上に羽田の渡しの碑.
"娘を乗せた駕籠を、羽根田から川崎へ渡る渡し口より北に当たる梨畑の下でちょっと見かけたが"(粟田口霑笛竹)
羽田の渡し碑 1105
六合土手 ろくごうどて 誠八伊勢参り(本草堂江戸噺, 相模書房 (2004)) 大田区 今の六郷橋あたりの多摩川堤.京急に六郷土手駅がある.六郷橋へ向かうと,旧橋の親柱や鉄橋の一部が保存されている.土手は,ゴルフ練習場と現代の蒲鉾小屋 六郷土手 1108
六郷橋 ろくごうばし すててこ誕生(青正蔵1:19) など 2件2題 (東京2件) 大田区東六郷3〜神奈川県川崎市 多摩川にかかる.川幅が広く,橋をかけては流されることが続いた.「すててこ誕生」の鉄橋は鉄道用のはず.一部が明治村に残っている.六郷の渡(鶴殺疾刃庖刀など,神奈川県に分類)は,六郷橋のやや下流で標柱がある.白井権八の切腹は渡し船の上 六郷橋 0601

掲載 060310/最終更新 120816

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