地点名 |
この1題・登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
熊本県 |
くまもとけん |
棒だら(新風現代:03) など 2件2題 (東京1件, 上方1件) |
熊本県 |
阿蘇地方から県都熊本へ向かい,周辺をぐるりと見物したあと,天草など離れたポイントをまわってゆく.用例は赤ベロベロの薩摩ざむらいのセリフ.県民にもっとも親しまれているのは,細川の殿様ではなく,加藤清正公になる.「虎狩り」という落語では,朝鮮出兵の主人公として活躍する.
"旦那、あの、拳をまいりましょうか?鹿児島県か、熊本県か?"(棒だら)
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加藤清正公像 |
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2009 |
肥後 |
ひご |
鍋蓋(講明治大正5:22) など 5件3題 (東京3件, 上方2件) |
熊本県 |
旧国名.肥後の熊本としてよく出てくる.名物は,馬刺し,辛子レンコン,タイピーエン,いきなり団子に肥後ずいき.ズイキ自体は,「小倉船」の謎解きで,"ずいきの腐ったの"で出てくる.加藤清正は,築城の際,城攻めに備えて干したズイキを城の壁に塗り込めていたという.食べるズイキはサトイモの茎だが,性具の肥後ずいきはハスイモを乾燥して作られる.将軍家にも献上されていて,大奥で使われていたという.ひも状のものだと思っていたら,写真のように輪に形作ったり,棒状に編み上げられたりする.水で戻すと,スポンジのような触感になった.名高い工芸品だったが,衰退著しく,取り扱いは1軒だけとなってしまった.写真は中古品で,左上から小菊,菖蒲,竜胆,牡丹,牡丹(戻したもの),山茶花と,花の名がつけられている.
"いかにも拙者は肥後の国の住人、仔細あッて諸国遍歴の武者修行"(鍋蓋) |
肥後ずいき |
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2022 |
阿蘇山 |
あそざん |
父の花嫁(新風金語楼2:21) など 5件2題 (東京5件) |
阿蘇郡 |
寝釈迦に見える阿蘇五岳,ヘソのあたりから煙を吹いてあられる.
"悪くいけば、阿蘇山か。みんな、噴火山専門だな"(父の花嫁) |
阿蘇五岳 |
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2001 |
一の宮 |
いちのみや |
九州吹き戻し(三一談志5:03) 1件1題 (東京1件) |
阿蘇市一の宮町宮地3083 |
肥後国一宮,阿蘇神社.その門は日本三大楼門(鹿島神宮,筥崎宮,阿蘇神社)の一つと言う.2016年の熊本地震で倒壊.
"阿蘇一の宮へ参詣し、流れ流れての末"(九州吹き戻し) |
阿蘇神社楼門 |
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2001 |
南阿蘇水の生まれる里白水高原駅 |
みなみあそみずのうまれるさとはくすいこうげんえき |
恨みの碓氷峠(鉄道落語, 交通新聞社 (2013)) |
阿蘇郡南阿蘇村大字中松 |
『鉄道落語』に,日本一長い駅名として登場.駅名標を見ると,実際は単に白水高原駅と呼んでいるようだ.2020年現在,震災により休業中.以前は,ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅(現 松江イングリッシュガーデン前駅)が日本一だった.休業中の2020年,等持院・立命館大学衣笠キャンパス前が改称によって生まれて,日本一の座から落ちてしまった.世界一長い駅名は,ウェールズにあるLlanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch駅.以前に同僚が訪問したが,けっこう行くのが大変だったという.
"次は日本で一番長い駅名『南阿蘇水の生まれる里白水高原駅』でございます。ガタンゴトン、ガタンゴトン"(恨みの碓氷峠) |
南阿蘇水の生まれる里白水高原駅駅名標 |
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2011 |
地獄 |
じごく |
九州吹き戻し(三一談志5:03) 1件1題 (東京1件) |
阿蘇郡南阿蘇村河陽 |
地獄温泉.泥湯.砂利床から硫化水素がわいている.湯治客が多かった.立ち寄り入浴可.2016年の震災と豪雨の被害が大きく,しばらく閉業していたが,2019年4月に営業再開した.
"どうだったい喜さん、阿蘇は?地獄へ行ったかい……"(九州吹き戻し) |
地獄温泉すずめの湯 |
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2001 |
垂玉 |
たるたま |
九州吹き戻し(三一談志5:03) 1件1題 (東京1件) |
阿蘇郡南阿蘇村河陽 |
垂玉温泉.一軒宿の山口旅館.露天風呂の脇を滝が落ちる滝の湯の他にかじかの湯もある.立ち寄り入浴可.こちらも2021年に,日帰り温泉施設として営業を再開した.
"いえ、垂玉で"(九州吹き戻し) |
垂玉温泉金竜滝の湯 |
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2001 |
四里木 |
よりき |
九州吹戻し(定本 九州吹戻し, 新人物往来社(2001)) |
菊池郡菊陽町原水 |
札の辻を起点とする豊後街道の里数木.洒落のようだが実在する.原水駅を通る南方バス停の東方にひっそりと碑が建っている.鉄道敷設で榎の塚が崩されたという.
"四里が四里木で、与力とくれぁ同心が揃わ無えと奉行所にならねえ"(九州吹戻し) |
四里木跡標柱 |
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2009 |
三里木 |
さんりぎ |
九州吹き戻し(三一談志5:03) 1件1題 (東京1件) |
菊池郡菊陽町津久礼 |
豊後街道.里数木が植えられた.駅名標にも解説がある.三里木駅の前に四里木と同じ形の碑がある.
"帰りに二里木とか三里木なんという妙な名前のところがありやして"(九州吹き戻し) |
JR三里木駅 |
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2001 |
宮本武蔵の墓 |
みやもとむさしのはか |
九州吹き戻し(三一談志5:03) 1件1題 (東京1件) |
熊本市北区龍田町弓削 |
二里木の武蔵塚を指す.武蔵塚公園として整備され,武蔵像もある.墓碑には新免武蔵居士と記されている.熊本大裏手にも墓所がある.
"宮本武蔵てえやっとうの先生の墓だか塚だかがあったんで拝んで来やした"(九州吹き戻し) |
武蔵塚 |
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2009 |
二里木 |
にりぎ |
九州吹き戻し(三一談志5:03) 1件1題 (東京1件) |
熊本市北区龍田7, 8あたり |
豊後街道.里数木の榎が植えられた.龍田7-22に二里木を示す榎がある.
"二里木も三里木も御番所が置いてあるところだ"(九州吹き戻し) |
二里木の榎 |
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2001 |
一里木 |
いちりぎ |
九州吹き戻し(三一談志5:03) 1件1題 (東京1件) |
熊本市中央区黒髪 |
豊後街道.ここまで来ると完全に市街地.榎を伐採した跡に碑が建てられた.
"熊本のお城から数えて一里のところが一里木"(九州吹き戻し) |
一里木跡石碑 |
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2001 |
熊本:五高 |
ごこう |
佐藤栄作の正体(立つばめ1:02) など 2件1題 (東京2件) |
熊本市中央区黒髪 |
佐藤栄作首相を題材にした柳家つばめの新作.五高は佐藤栄作の出身校.現 熊本大学.赤煉瓦校舎のほか,赤煉瓦の門も残る.
"第二志望は九州熊本の五高。受験地は名古屋を選んで中京へのりこんだ"(佐藤栄作の正体) |
五高赤レンガ校舎 |
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2001 |
山鹿の湯 |
やまがのゆ |
暦湯(笑となみだ, 積善館 (1908)) |
山鹿市 |
暦好きの主人が趣向を凝らした銭湯を開業する「暦湯」という上方落語.枕に日本各地の温泉が出てきた.上方らしく,有馬や宝塚など関西以西の温泉が多い.山鹿温泉は,熊本市街の北,玉名温泉の西.市内各地に温泉がある.中心街のさくら湯は,藩の御茶屋に発する共同浴場で,2012年に破風入りの建物を再建した.
"また肥後では山鹿の湯"(暦湯) |
山鹿温泉さくら湯 |
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2019 |
田原坂 |
たばるざか |
転宅(講明治大正1:19) 1件1題 (東京1件) |
熊本市北区植木町豊岡 |
田原坂は西南戦争の激戦地.二の坂,三の坂は改修が進んだ.一の坂でも,砲車が轍に取られた西南戦争の面影をしのぶことは難しい.
"鹿児島暴徒の首を二十も討った剛い中川参謀と二人で田原坂を破って来た程の人なノ"(転宅) |
一の坂 |
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2001 |
熊本 |
くまもと |
宮戸川(弘文志ん生3:05) など 40件24題 (圓朝1件, 東京35件, 上方4件) |
熊本市 |
締め出しを食ったぐらいでは行かないが,江戸を捨てた幇間が流れ着くところ.「井戸の茶碗」の細川様の領国で,博打の細川屋敷(文七元結)は熊本新田.細川の前の熊本城主加藤清正は「清正公酒屋」,「地震加藤」,「虎狩」,「子別れ」に登場.饅頭にて餡殺された.朝鮮飴の園田屋はなんと天正年間創業という.水飴を練って短冊状にしたものが,たっぷりの片栗粉の中にならんでいる.日持ちがして古雅な味わい.
"少し遠いいのよォ。どこですゥ?肥後の熊本なの"(宮戸川) |
朝鮮飴園田屋 |
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2009 |
熊本城 |
くまもとじょう |
狂歌会(偕成少年05:05) など 3件3題 (東京3件) |
熊本市中央区本丸あたり |
加藤清正の居城.西南戦争でほとんどを焼失.宇土櫓は現存.写真左に見える黒塗りの天守閣は再建.2016年の震災で,天守閣はじめ熊本城は大きな被害を受けた.
"加藤清正は(中略)熊本城の城主で、「清正の虎退治」は有名です"(狂歌会) |
熊本城宇土櫓 |
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2009 |
熊本城:石塔 |
せきとう |
忠士鑑(講談速記 落語集,明文館 (1892)) |
熊本市中央区本丸あたり |
「忠志鑑」は,谷干城から建白書を託され,熊本城に乗り込む谷村計介を描いた新作.名人橘家圓喬の速記が残っている.一人城を抜け出して苦境を報告した谷村計介.速記では城内に戻った後自決したように描かれているが,実際は田原坂で死亡した.城内に墓碑はない.谷村の忠勇をたたえ,銅像を建てたことが碑文に記されている.行幸橋北東詰にある.
"谷村の誠忠を賞して熊本城内に一の石塔を建てました"(忠士鑑) |
谷村計介顕彰碑 |
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2017 |
熊本:清正公 |
せいしょうこう |
清正公酒屋(三一談志1:04) など 14件5題 (東京12件, 上方2件) |
熊本市西区花園4 |
江戸で清正公といえば,白金と浜町.本家は熊本,本妙寺.加藤清正の廟所浄池廟がある.燈籠の立ち並ぶ石段を登ると,常夜燈.さらに,裏手の石段上には巨大な加藤清正像.地元の方のウォーキングコース.
"すぐに浜町へ人をやり、熊本へもはるばる代参を立てるという始末だ"(清正公酒屋) |
本妙寺浄池廟 |
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2009 |
熊本博物館 |
くまもとはくぶつかん |
清正公酒屋(三一談志1:04) 1件1題 (東京1件) |
熊本市中央区古京町 |
黒田節,酒は飲め飲めのむならば♪で飲みとった名槍日本号の話題.日本号を所蔵するのは福岡市博物館.熊本博物館には説明はなかった.
"九州の熊本博物館の説明は違いますが……"(清正公酒屋) |
熊本博物館 |
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2001 |
千波山 |
せんばやま |
九州吹き戻し(三一談志5:03) 1件1題 (東京1件) |
熊本市 |
不明.童歌の「あんたがたどこさ」にも出てくる.船場橋の欄干には,その歌詞にちなみ,エビとタヌキ二対の彫刻がある(船場山には狸がおってさ,それを猟師が鉄砲で撃ってさ.船場川にはえびさがおってさ,それを漁師が網さで捕ってさ).市電洗馬橋駅には親子狸の像.
""肥後何処サ""熊本サ、千波山には狸が居ってサ""(九州吹き戻し) |
船場橋 |
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2001 |
花岡山 |
はなおかやま |
忠士鑑(講談速記 落語集,明文館 (1892)) |
熊本市西区 |
西南戦争を舞台にする「忠志鑑」に出てくる地名.熊本駅の北側にあたる山.標高132m.西南戦争の際,熊本城を望むこの地に砲台を据えた.今も夜景の名所.
"花岡山に砲台を据えましたが桐野利秋で、日々城中へ向けて大筒を打ち"(忠士鑑) |
花岡山薩軍砲台跡 |
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2017 |
二本木の廓 |
にほんぎのくるわ |
九州吹戻し(立名人名演06:14) 1件1題 (東京1件) |
熊本市西区二本木 |
二本木遊廓は戦争で焼けてしまい,廓の跡をしのばせるところは少ない.写真は"東雲のストライキ"の東雲楼.そのごく一部が残っている.
"肥後の熊本へ来て二本木の廓へまいり、たずねてみると"(九州吹戻し)
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二本木東雲楼あと |
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2001 |
水前寺 |
すいぜんじ |
九州吹き戻し(三一談志5:03) など 5件1題 (東京5件) |
熊本市中央区水前寺公園 |
水前寺公園に隣接して水前寺があった.噺では,寺そのものを指している訳ではない.観光センターの北に碑があり,礎石が残っている.
"水禅寺てえところへ廻りましたが、結構な場所でござんした"(九州吹き戻し) |
水前寺廃寺跡碑 |
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2009 |
水禅寺公園 |
すいぜんじこうえん |
九州吹戻し(定本 九州吹戻し, 新人物往来社(2001)) |
熊本市中央区水前寺公園 |
水前寺公園が正しい.入園有料.園内に出水神社,古今伝授の間があり,富士山を模した築山のながめが見どころ.
"御屋敷をお造作に成りましたのが現在も残って居り公園と成って居り此れを水禅寺公園"(九州吹戻し) |
水前寺成趣園 |
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2001 |
江津湖 |
えづこ |
九州吹戻し(定本 九州吹戻し, 新人物往来社(2001)) |
熊本市東区江津,中央区神水本町あたり |
珍味の水前寺海苔.今や絶滅危惧種で,国天然記念物.江津湖北西部のスイゼンジノリ発生地が手厚く保護されている.
"外へ流れ出た池水の溜った場所が只今では江津湖と言う大きな沼となって居ります"(九州吹戻し) |
スイゼンジノリ発生地 |
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2009 |
金峰山 |
きんぽうざん |
九州吹き戻し(三一談志5:03) 1件1題 (東京1件) |
熊本市西区 |
熊本市街北西に位置する火山群.金峰山北西部にある霊巌禅寺霊巌洞(西区松尾町平山)は,晩年の宮本武蔵が五輪書を著した洞窟.有料.
"磯の香と共に波の音、ここは金峰山の麓"(九州吹き戻し) |
雲巌寺霊巌洞 |
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2001 |
百貫 |
ひゃっかん |
九州吹き戻し(三一談志5:03) 1件1題 (東京1件) |
熊本市西区小島あたり |
百貫は坪井川の河港だったが埋め立てられた.かつてここまで軽便鉄道が通っていた.海に面したところには,百貫石港灯台がある.
"百貫という浜辺。遠国向けの大船がでようてえ土地だ"(九州吹き戻し) |
百貫河港あと |
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2001 |
加世川 |
かせがわ |
御船の戦争(講明治大正5:01) 1件1題 (東京1件) |
熊本県 |
「御船の戦争」は,西南戦争ルポといった趣の明治の新作.加勢川には薩軍が陣を築いた.本編でいう"加世川"は緑川ではないか.
"この日官軍勢が苦戦で、加世川堤といえるところへ惣隊を引き上げました"(御船の戦争) |
川尻薩軍本陣跡 |
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2001 |
御船 |
みふね |
御船の戦争(講明治大正5:01) 1件1題 (東京1件) |
上益城郡御船町御船 |
御船は西南戦争の激戦地で,薩軍が大敗を喫した.熊本士墓は妙見公園から少し上に入ったところ.ちょっとわかりにくい.
"別働隊三旅団の巡査隊の有田藤七郎は熊本の御船の戦いで"(御船の戦争) |
御船 熊本士墓 |
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2001 |
五箇庄 |
ごかのしょう |
下総土産佐倉双紙(三友舎 (1890)) |
八代市泉町 |
佐倉宗吾伝の人情噺に登場.平家落人部落として知られる五家荘(ごかのしょう).そこに内裡村というのがあったかは未詳.葉木の佐倉荘は宗吾の縁類が経営するという.宗吾の父などを祀る義雲宮が隣接している.
"この宗五郎は肥後国五箇庄内裡村の生まれで、平家の落人でございまして"(下総土産佐倉双紙) |
五家荘義雲宮 |
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2018 |
人吉 |
ひとよし |
若旦那とわいらとエクスプレス(鉄道落語, 交通新聞社 (2013)) |
人吉市 |
『鉄道落語』に,登場人物がいかに鉄道好きかを示すエピソードとして登場.週末を中心に,人吉−熊本間をSL人吉が運行している.人吉駅では旅情をもりあげるディスプレイがしてあるほか,国内で唯一とされる石造車庫や転車台が現役で使われており,間近で見学できる.
"こないだもSLの撮影のために、わざわざ熊本の人吉まで車で行ってたっちゅうねや"(若旦那とわいらとエクスプレス) |
人吉駅石造車庫 |
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2018 |
相良 |
さがら |
居残り佐平次(講明治大正7:41) など 6件4題 (東京6件) |
人吉市 |
相良は現在の人吉.「伊賀越道中双六」の文句,落ち行く先は九州相良.願成寺裏には相良家代々の墓が並ぶ.
"そうとも、落ちつく先は九州相良だ、何をして行ったって同じ事ったからなア"(居残り佐平次) |
相良氏墓地 |
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2001 |
天草 |
あまくさ |
深山隠れ(騒人名作08:12) など 6件5題 (圓朝2件, 上方4件) |
天草郡 |
島原の乱の舞台.本渡城跡に殉教碑と天草四郎像がある.「深山隠れ」という珍しい落語.妖気漂う女盗賊がこもるのは次項,天草の花鹿山.
"ここは肥後の天草、とある深山の麓の村でございます"(深山隠れ) |
天草四郎像 |
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2003 |
花鹿山 |
はなしかやま |
深山隠れ(騒人名作08:12) 1件1題 (上方1件) |
熊本県:架空 |
天草の奥,はなしかやまは盗賊の巣窟.
"この花鹿山の深山に、住まいをいたしまする賊というのは女盗賊だそうでございます"(深山隠れ) |
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金置村 |
かねおきむら |
端物講釈(講明治大正2:11) など 2件1題 (東京2件) |
人吉市か |
「五目講釈」の文句,"村の小名をば金置村".「伊賀越道中双六」で,相良の件の後に金置村の文句はない.出典不明.
"落ち往く先は九州相良、村の小名をば金置村"(端物講釈) |
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柳ヶ瀬 |
やながせ |
昆布巻芝居(白川小春団治:01) など 2件1題 (上方2件) |
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「昆布巻芝居」には宮本武蔵が出てくる.武蔵生地は,ふつう岡山県とされる.柳ヶ瀬が何を指すか不明.
"我れ本国柳ヶ瀬を出でてより、艱難辛苦幾ばくぞや、中にも備前岡山にて"(昆布巻芝居) |
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