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佐賀県   
……泥丹坊堅丸と申します田舎廻りの噺家で、所々方々を巡業致しまして、肥前の武雄の湯治場に大黒屋市兵衛と申します旅人宿がござります。この宿へ泊り込みまして、湯治客のお座敷をして頂いておりました
 (笑福亭松鶴(5) 「ベカコ」)
  五代目笑福亭松鶴編,『上方はなし』(下),三一書房(1972)
 
地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年月  
佐賀県 テレスコ(創元米朝5:05) 1件1題 (上方1件) 佐賀県 東から西へと横断し,唐津へ北上するルートで佐賀県の落語地名を紹介する.
"九州の佐賀県でしたかな、「はい」という返事を「ナイ」と言う"(テレスコ)
     
肥前 播州巡り(三一上方2:06) 1件1題 (上方1件) 佐賀県,長崎県 旧国名.
"備前、筑前、肥前、豊前のクラゲと前名のついたところのクラゲは食えても、この辺のクラゲは喰えん"(播州巡り)
     
吉野ヶ里遺跡 黄金の大黒(太田藤志楼2:07) など 2件2題 (東京2件) 神埼市(旧神埼郡神埼町),吉野ヶ里町(旧神埼郡三田川町,東脊振村) 1988年,弥生時代の大遺跡と判明したため,くすぐりに取り入れられた.公園として現在も整備中.物見櫓は『魏志倭人伝』邪馬台国の記述にある楼閣かと騒がれた.
"だいぶ古いねウチの親父はね。こないだ吉野ヶ里遺跡から見っかった"(黄金の大黒)
南内郭物見櫓 0304
佐賀:御殿 ベカコ(三一上方2:34) など 3件1題 (上方3件) 佐賀市城内 鍋島氏の居城.佐賀戦争で多くを失い,鯱の門と続櫓のみが残る.国重文.
"宿屋の主人は泥丹防堅丸を伴れて、佐賀の御殿へさして参りました"(ベカコ)
佐賀城鯱の門 0507
    武雄市 「べかこ」の速記からでは佐賀城か武雄の屋敷か判別できなかった.徒歩圏という点では武雄市内か. 武雄 鍋島藩邸庭園 9710
武雄 ベカコ(三一上方2:34) など 5件1題 (上方5件) 武雄市 武雄温泉は一般の入湯可能.シンボルである蓬莱門は東京駅を手がけた辰野金吾の設計で1915年竣工.武雄温泉に投宿中の泥丹坊堅丸,ご不快のお姫様を慰めるため屋敷に召されたが,腰元をからかったため縛られてしまう.狩野永徳が描いた鶏に東天紅と鳴いて助けてくれと頼むと,あら不思議,一声「ベカコ」.
"泥丹防堅丸と申します田舎廻りの噺家で、所々方々を巡業いたしまして、肥前の武雄の湯治場に"(ベカコ)
武雄温泉蓬莱門 9710
嬉野 紀州(青圓生01:05) など 2件2題 (東京1件, 上方1件) 嬉野市(旧藤津郡嬉野町) 三韓出兵で傷ついた兵士を癒す温泉に,神功皇后思わず"嬉しいのぉ"とのご託宣.古湯温泉は町が買い取って改修にあたる.
"「うれしいのう」とおっしゃったそうで、それがために嬉野という地名が残りまして"(紀州)
古湯温泉 0406
伊万里 鰻の幇間(旺文鑑賞1:09) など 6件2題 (東京6件) 伊万里市 伊万里焼の例.有田焼の搬出港.大川内山は陶工を山に囲まれた谷筋に集め,技術を匿した藩の秘窯.
"このまた猪口をごらんよ(中略)こっちに伊万里があって、こっちのほうは九谷てえなア乙なもんだ"(鰻の幇間)
大川内山 0406
有田   西松浦郡有田町 有田焼が1件も出てこなかったかどうかは,はなはだ自信がない.泉山は山一つ堀り尽くして陶土を取った跡地.迫力. 泉山磁石場 0406
唐津 白井権八(三一談志3:09) など 2件2題 (東京1件, 上方1件) 唐津市 唐津くんちの曳山は,魚屋町の鯛の他,亀と浦島,兜などが展示されている.
"俺だって元ぁ侍だ。肥前唐津の松浦様の家来で"(白井権八)
唐津くんち曳山 9710
領巾振山 寝床(青圓生09:05) など 4件2題 (東京4件) 唐津市 鏡山.以下,松浦佐用姫伝説の地名が続く.これを仕込まないと「派手彦」は成り立たない.佐用姫は,戦地に赴く大伴狭手彦を鏡山山頂で領巾(ひれ)を振って見送り,佐用姫岩へ飛び降りた.岩上にはその時の足跡が残るという.
"『増補朝顔日記』宿屋から大井川まで、領巾振山の悲しみも……という"(寝床)
鏡山山頂松浦佐用姫像 0406
松浦山 派手彦(青圓生03:03) など 2件1題 (東京2件) 唐津市 領巾振山(ひれふるやま)だろう.
"肥前松浦山、一名松浦潟と申します。松浦佐世姫という人が、ここで夫大伴狭手彦の船出を悲しみ"(派手彦)
     
船子山 坂東お彦(講明治大正4:34) など 3件1題 (東京3件) 唐津市か 「坂東お彦」は,「派手彦」のこと.船子山,船木の山,舟木の山のすべての用例を合わせた.どれも不明だが,領巾振山だろう.
"肥前国船子山に領巾を振って呼んだ上げ句に石になってしまった"(坂東お彦)
     
松浦川 人形買(三一上方1:02) など 7件2題 (東京5件, 上方2件) 唐津市 佐用姫は山を下りて,夫を追いかけ松浦川を渡る.「人形買い」では,出産祝いに贈る人形を神功皇后にするか,太閤秀吉にするか迷う.神功皇后が戦勝を占ったのも松浦川.こちらは浜玉町の玉島川の古称というが,まあどちらでもいいではないか.
"肥前国松浦川の流れに御髪を浸し給い左右に分け"(人形買)
松浦川と唐津城 0406
松浦潟 坂東お彦(講明治大正4:34) など 4件1題 (東京4件) 唐津市あたり 一方,大伴狭手彦は,朝鮮出兵のため松浦潟を発つ.領巾振山の西展望台からの眺望がよい.虹の松原は日本三大松原の一つとされる.
"朝顔日記の浄瑠璃に、夫の跡を恋いしたい石になったる松浦潟という文句があります"(坂東お彦)
虹の松原 0406
望夫石   唐津市(旧東松浦郡呼子町加部島) 別れの悲しみのあまり,ついに佐用姫は石と化す.その石は加部島の田島神社にある.薄暗いところで目が慣れると見えてくる.拝観多謝.ついでに,木更津へ発つ派手彦を見送った松浦屋の番頭佐兵衛も女房香々で石になる.という噺が「派手彦」.
"おい番頭さん、おめえ石になったのかい。石になった……"(派手彦)
佐與姫神社 望夫石 0406
名護屋 御名算(二ヶ領用水物語, まつ出版 (2010)) 唐津市鎮西町名護屋あたり 「御名算」はそろばんを題材にした新作落語.名護屋城は,秀吉が朝鮮出兵の拠点とした城.玄界灘を見下ろす高台に巨大な城跡が残っている.周辺には加藤清正をはじめとする諸将の陣跡が点在している.徳川幕府によって城は壊された.だから,石垣の下に巨石が転がったままになっているのだろう.
"太閤秀吉が天下を統一した後の一五九二年、佐賀県名護屋の陣中でそろばんを使ったのが始めだといわれております"(御名算)
名護屋城本丸石垣 1404

掲載 041017/最終更新 151001

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