右京区 |
地点名 |
この1題・登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
西山 |
にしやま |
愛宕山(筑摩上方2:04) など 7件6題 (圓朝2件, 東京1件, 上方4件) |
京都市 |
右京区の落語地名は愛宕山につきる.「愛宕山」と「いらちの愛宕詣り」の登場人物が,汗をかきかき急坂を登る.
"京都は東山西山と、どっちを向いても山ばっかり"(愛宕山) |
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仁和寺 |
にんなじ |
大名房五郎(青圓生13:08) 1件1題 (東京1件) |
右京区御室大内 |
真言宗御室派本山仁和寺.御所から移設した紫宸殿,清涼殿がある.他の用例はすべて御室で,仁和寺として登場するのはこれだけ.巨勢金岡(こせのかなおか)は,大和絵を大成させた平安時代の絵師.仁和寺に描いた馬が抜け出て田を荒らす話は,説話集『古今著聞集』に載っている.
"昔な、巨勢の金岡が、仁和寺の壁へかいた、馬の絵は、夜な夜な田甫へ出て稲を食べたという"(大名房五郎) |
仁和寺金堂 |
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1998 |
御室 |
おむろ |
汲みたて(青圓生04:08) など 30件15題 (東京30件) |
右京区御室 |
常磐津「将門」の詞章,"嵯峨や御室の花盛り 浮気な蝶も色かせぐ 廓の者に連られて 外珍らしき嵐山".御室桜は仁和寺中門の左手に広がっている.丈が低く,開花が4月中旬と遅め.花時期は境内入山有料となる.
"なんだ、将門ッてのァ。知らねえのか、おめえ『嵯峨や御室の花盛り……』だ"(汲みたて) |
御室桜 |
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2010 |
御室:八十八ヶ所 |
はちじゅうはちかしょ |
出世の鼻(講明治大正2:24) 1件1題 (東京1件) |
右京区御室大内 |
仁和寺北西の山中に,点々と四国八十八ヶ所の小堂がならんでいる.
"御室から八十八ヶ所、嵐山等洛中洛外残らず見物して"(出世の鼻) |
八十八ヶ所霊場 |
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1998 |
双ヶ岡 |
もろがおか |
小夜ごろも(騒人名作05:16) 1件1題 (東京1件) |
右京区御室雙岡町 |
「小夜衣」の"もろがおか"のルビと「忠臣蔵」,鎌倉の話題に惑わされたが,吉田兼好の隠棲地ならば,京都の双ヶ岡(ならびがおか)になる.市街地にぽっこりと2つの丘が見える.実際は3つの丘からなる.
"当時双ヶ岡に隠遁いたしております吉田兼好は和歌の四天王と呼ばるるその一人で"(小夜ごろも) |
双ヶ岡を望む |
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2006 |
広隆寺 |
こうりゅうじ |
好色成道(菊池寛が落語になる日, 文藝春秋 (2022)) |
右京区太秦蜂岡町 |
真言宗蜂岡山広隆寺.弥勒菩薩半跏思惟像で有名.宝物の拝観有料.用例の「好色成道」は,菊池寛の原作を春風亭小朝が落語化したもの.
"このまま帰るとなると太秦の広隆寺辺りで日が暮れてしまいますから"(好色成道) |
広隆寺山門 |
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2023 |
梅宮大社 |
うめのみやたいしゃ |
安産(講明治大正6:40) など 2件1題 (東京2件) |
右京区梅津フケノ川町 |
梅宮大社は,酒造の神で,子授け・安産守護の御利益もある.本殿の祭神は,酒解神など四柱.安産のお札も授与する.境内には,またぐと赤ちゃんが授かるというまたげ石がある.
"これは梅の宮様の御砂、水天宮様戌の年戌の月戌の日の御札"(安産)
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梅宮大社 |
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1998 |
桂川 |
かつらがわ |
胴乱幸助(講昭和戦前2:01) など 15件4題 (圓朝1件, 東京9件, 上方5件) |
京都市 |
「桂川連理柵」."泣きに行くかや水鳥の声すみ渡る月かげの桂川へと急ぎ行く"のセリフとともに,お半長右衛門は桂川で心中してしまう.阪急電車にすれば良かった.
"ナニ、桂川で心中しちまったと。しまった、急行で来りゃアよかった"(胴乱幸助) |
お半長衛門墓 |
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2004 |
大堰川 |
おおいがわ |
宝船(柳家小満ん口演用「てきすと」 24, てきすとの会 (2017)) |
右京区 |
嵐山より上流部の桂川を大堰川と呼ぶ.禁漁日に船を出して宝船に出会う奇談「宝船」は,角倉了以(すみのくらりょうい)の逸話とする演出もある.角倉了以は,高瀬川や大堰川改修にも力を尽くした.
"富士川、天竜川、京都の大堰川、賀茂川などの水路を開きました"(宝船) |
大堰川 |
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2019 |
渡月橋 |
とげつきょう |
高野違い(柳家小満ん口演用「てきすと」 15, てきすとの会 (2016)) など |
右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町〜嵯峨中ノ島町 |
桂川(大堰川)に架かる橋.土台はコンクリートだが,欄干は木製.北の嵯峨,南の嵐山を結ぶ観光名所.とにかく人が多い多い.
"その帰りには渡月橋を渡り切るまでは、後ろを振り返ってはいけないという"(高野違い) |
渡月橋 |
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2011 |
天龍寺 |
てんりゅうじ |
通夜の饒舌(講明治大正5:61) 1件1題 (東京1件) |
右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町 |
臨済宗天龍寺派本山.天龍寺船を派遣して造営資金を調達した.庭園は国特別名勝.「通夜の饒舌」は,『百花園』の最終号に掲載された.この年の8月に亡くなった圓朝の葬儀の模様をレポートしている.
"嵯峨の天龍寺の峨山和尚を、お前も知ッてだろうが、大阪にいる円馬のとこから東京へよこして"(通夜の饒舌) |
天龍寺庭園 |
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1998 |
嵯峨 |
さが |
浮世風呂(青圓生12:12) など 30件15題 (東京30件) |
右京区嵯峨 |
常磐津「将門」の"嵯峨や御室"の用例が多い.こんな嵯峨竹をしならせて,一八は愛宕山の断崖を登ってきた.
"嵯峨ァ…や、御室ォのォ花ざァかァりィ…、浮気なァ蝶もォ、色ォかせェぐゥ"(浮世風呂) |
嵯峨竹の道 |
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2010 |
嵯峨の釈迦 |
さがのしゃか |
開帳の雪隠(青圓生12:09) など 6件3題 (東京6件) |
右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町 |
浄土宗五台山清涼寺.両国回向院などで,嵯峨の釈迦の出開帳が頻繁に行われた.江戸小咄にも嵯峨の釈迦はよく出てくる.
"昔は出開帳というものが、たいそうはやりました(中略)嵯峨のお釈迦さまとか、あるいは成田のお不動さま"(開帳の雪隠) |
清涼寺山門 |
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1998 |
小倉山 |
おぐらやま |
無学者論(講明治大正3:17) など 9件3題 (東京8件, 上方1件) |
右京区嵯峨小倉山,嵯峨二尊院門前 |
藤原定家卿が百人一首を編んだ地.鹿ぞ栖む紅葉の山の小倉餡.粒あんの由来でもある.
"その昔小倉山に於いて定家というお方が古今の百人の名吟を一首ずつ集めたんだ"(無学者論) |
小倉山 |
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2010 |
落柿舎 |
らくししゃ |
茶漬幽霊(柳家小満ん口演用「てきすと」 28, てきすとの会 (2018)) |
右京区嵯峨小倉山緋明神町20 |
「茶漬幽霊」は,「三年目」の上方落語での演題.小満ん師お得意のマクラで,落柿舎と去来塚が出てくる.落柿舎は,蕉門十哲の一人である向井去来の庵室.ある年,庭の柿の実が,一夜のうちにすべて落ちてしまい,売約先の商人に代価を返したことから,落柿舎の名前となった.去来の句碑,"柿主やこずえは近きあらし山"がある.拝観有料.
"京都の嵯峨野にある落柿舎というのが、この方の別邸で厶いまして"(茶漬幽霊) |
落柿舎 |
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2019 |
去来塚 |
きょらいづか |
茶漬幽霊(柳家小満ん口演用「てきすと」 28, てきすとの会 (2018)) |
右京区嵯峨小倉山緋明神町 |
落柿舎裏手にある向井去来[慶安4(1651)〜宝永元(1704)年]の墓.拝観自由.武士の身分を捨てて,芭蕉の門人となった.鴨啼くや弓矢を捨てて十余年.小満ん師は,去来の句,"魂棚の奥なつかしや親の顔"を引いて,亡妻回向の「茶漬幽霊」本題につないでいる.
"ラグビーボール位のもンで厶いまして、去来塚とでも云うンでしょう"(茶漬幽霊) |
去来の墓 |
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2019 |
梅ヶ畑 |
うめがはた |
愛宕山(創元米朝1:01) など 3件1題 (東京1件, 上方2件) |
右京区梅ヶ畑 |
土器投げの的を仕替えるコケ道が通じている.『東海道中膝栗毛』で,弥次喜多が梯子を買わされた畑の姨の出身地.『増補改訂版』では,的の交換ルートは,清滝に改訂されている.
"年に一ぺん、的を仕替えに行たりする時に通る道が、梅ヶ畑のほうからついてますでな"(愛宕山) |
梅ヶ畑 |
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2005 |
高雄山 |
たかおさん |
愛宕山(青小南:11) など 4件4題 (圓朝2件, 東京1件, 上方1件) |
右京区梅ヶ畑 |
清滝川沿いの紅葉の名所.中心は高尾山神護寺.見晴らしの良いところで土器投げが体験できる.
"愛宕山と申しますのは(中略)紅葉の名所の高雄山の奥のほうでございます"(愛宕山) |
神護寺境内 |
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2011 |
栂尾 |
とがのお |
江戸の夢(青圓生13:19) など 2件1題 (東京2件) |
右京区梅ヶ畑栂尾町 |
「江戸の夢」は,劇作家宇野信夫作の新作で,静岡県丸子の茶園を舞台にする.6代目三遊亭圓生が演じた.栂尾は,栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を初めて植えつけた地.「江戸の夢」でも,その引き事が語られる.境内の茶畑には,日本最古之茶園碑が立っている.
"日本へお茶を持ってまいりまして明恵上人にさしあげたのを、京都ゥの栂尾へまいたのが、始まりだそうでございますな"(江戸の夢) |
高山寺茶園 |
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2005 |
高山寺 |
こうざんじ |
江戸の夢(青圓生13:19) など 2件1題 (東京2件) |
右京区梅ヶ畑栂尾町 |
真言宗栂尾山高山寺.中興開山の明恵上人が名高い.鳥獣戯画,明恵上人の樹上座禅像を所蔵する.栄西禅師からもらい受けた茶の実を,明恵上人が境内に植えた.明恵上人廟所には,宇治の新茶が献供される.拝観有料.
"高山寺へ行くと、明恵上人へ三ッつの茶の実を入れてさしあげた茶壺が残っているそうでございます"(江戸の夢) |
明恵上人廟所 |
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2005 |
清滝 |
きよたき |
愛宕山(桂枝雀爆笑コレクション5, 筑摩書房 (2006)) |
右京区嵯峨清滝 |
通常は,「愛宕山」の土器の的を仕掛けに行くのは,梅ヶ畑で演じられる.清滝は愛宕山の表参道にあたる.清滝まではバスどころか,戦前は鉄道が通っていた.
"年に一度ね、的を仕替えに行きます道ね、清滝の方から回っていきますけど"(愛宕山) |
愛宕山表参道鳥居 |
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2005 |
愛宕山 |
あたごやま |
愛宕山(立文楽2:15) など 18件4題 (東京7件, 上方11件) |
右京区嵯峨清滝,嵯峨水尾 |
標高924m.山頂に愛宕神社が鎮座する.清滝バス停からの表参道と高雄から月輪寺を経てのルート,どちらも2時間強かかり,800m以上の登りになる.
"はァ……愛宕山と申しますると?向こうに見えるあの山だ"(愛宕山) |
愛宕参道の嵯峨竹 |
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2005 |
七曲り |
ななまがり |
愛宕山(創元米朝1:01) など 3件1題 (上方3件) |
右京区嵯峨 |
愛宕参道.試みの坂よりも手前に描かれる.
"一八つぁん、繁八つぁん、ここから七曲りどすえなァ"(愛宕山) |
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試みの坂 |
こころみのさか |
愛宕山(立文楽2:15) など 9件1題 (東京4件, 上方5件) |
右京区嵯峨 |
二の鳥居手前の試峠(こころみとうげ)のことだろう.旧道は失われ三丁,五丁の標石とお地蔵さんだけが残る.
"てっぺんてえやつがあるか、試みの坂てえんだ。てっぺんはまだこの三倍もあるんだ"(愛宕山) |
試峠三丁標石 |
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2005 |
愛宕神社 |
あたごじんじゃ |
伊勢参宮神乃賑(創元米朝6:03) など 15件9題 (東京1件, 上方14件) |
右京区嵯峨愛宕町1 |
参道には「愛宕山」を意識したインタープリテーションが2004年に強化された.七合目には土器投げ,歌より一丁上の二十五目に茶屋奈か屋の説明がある.ひょろの嵯峨竹は,大杉大神のところに見られた.
"お伊勢七度、熊野にゃ三度……ヨイヨイ……あんたは黙ってなはれ、かけ声要りまへん。愛宕さんにはなあー"(伊勢参宮神乃賑) |
愛宕神社石段 |
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1983 |
愛宕神社:本社 |
ほんしゃ |
愛宕参り(国書レコード:64) など 2件2題 (上方2件) |
右京区嵯峨愛宕町1 |
20年ぶりに登った愛宕山頂の本社は,春とはいえ霙が舞っていた.いらち治し祈願には,「堀の内」のお祖師様の方が楽なこと.
"愛宕さんへの御本社の前へ来て、拝むつもりで賽銭を出したんで"(愛宕参り) |
愛宕大神扁額 |
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2005 |
山国村 |
やまぐにむら |
花柳の夜桜(定本 九州吹戻し, 新人物往来社 (2001)) |
右京区京北井戸町 |
「花柳の夜桜」は「親子茶屋」のこと.桜にまつわるマクラに,山国村のほか,山国御陵,車返しの九重桜,左近の桜が登場する.いずれも未訪問.周山街道の奥の奥,地図範囲外になる.旧北桑田郡京北町.2005年に京都市右京区に編入された.
"京都の北の端れから、山また山を越えて行きます、山の中、此処を洒落まして山国村と申します"(花柳の夜桜) |
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西京区 |
地点名 |
この1題・登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
嵐山 |
あらしやま |
蝦蟇の油(立名人名演07:13) など 26件16題 (圓朝1件, 東京24件, 上方1件) |
西京区嵐山 |
桂川の南の紅葉の名所.渡月橋付近は見事な景色だが,人が多い多い.船に乗って大堰川を遊覧できる.「蟇の油」では,白紙を日本刀で切った紙吹雪を,紅葉ではなく,桜吹雪にたとえている.
"ふっ 嵐山落花のかたち。……かように切れる刃物でも"(蝦蟇の油) |
嵐山 |
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2019 |
法輪寺 |
ほうりんじ |
高野違い(柳家小満ん口演用「てきすと」 15, てきすとの会 (2016)) |
左京区法林寺門前6 |
真言宗智福山法輪寺.日本三大虚空蔵として知られている.13歳の数え年に知恵を授かるため,虚空蔵さんにお詣りする,十三詣りという習慣がある.13歳になった清和天皇が,法輪寺で法要を催したのが始まりという.高台にある法輪寺から,狭い石段を降りると渡月橋に出る.これを渡るまで,振り返ってはいけないのがしきたりになっている.小満ん師のマクラにも,そのことが書いてある.
"十三詣りで厶いまして、東京ではあまり見掛けませんが、京都の法輪寺が最も有名で厶いまして"(高野違い) |
法輪寺本堂 |
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2019 |
松尾 |
まつのお |
鶯のほろ酔(講明治大正5:36) 1件1題 (東京1件) |
西京区嵐山宮町3 |
松尾大社は醸造の神さま.大山咋神と中津島姫命の二柱が祭神.写真左手にさまざまな銘柄の酒樽が奉納され,酒造りに混ぜる霊水もある.松尾大社のそばにある石に座っていた白髪の老人が,2人の者を使わすと言った.そののち,2羽のブッポウソウがやってきて,他の鳥は来なくなったという伝説を述べているのだろう.
"京の松尾や紀州の高野には妙な鳥がいて「仏法僧」となくということが物に見えております"(鶯のほろ酔) |
松尾大社 |
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1998 |