HOME >> 落語地名探訪記 >> prev 燕枝・雪催し・忘れ貝 next

燕枝・雪催し・忘れ貝  行程・地図
 芝居通で三題噺の名手,初代談洲楼燕枝の「口演速記」をご覧になったことがあるだろうか.
 書籍に収録された落語が4席,長編三題噺が1題(「続噺柳糸筋」),国会図書館がネット上に公開している口演速記を加えても人情噺が2題(「墨絵之富士」と未完の「仏国三人男」)しか補えない.これですべてなのだ.代表作の「島鵆沖白浪」「西海屋騒動」ですら見ることができない.三遊亭圓朝とならぶ名人と言われた燕枝だが,もはや忘れ去られてしまった落語家と言ってもいい.
 先日,ハズキルーペでも小さすぎて見えないっ!と叫びたくなる新聞,雑誌から燕枝の文章を拾い上げて,「燕枝作品のあらすじ」をアップロードした.人情噺は19題,長編三題噺は5題まで増えたが,新しい落語は見つけることができなかった.けれども,こんなに未読作が増えると,新しい地名もどっさり出てきてしまった.


「侠客小金井桜」
二塚明神の喧嘩
 雪にたたられた2月の三連休.一日くらいどこかに出ねばと思っていたが,雪のせいにして出そびれてしまった.最終日の11日,「土佐日記」ではないが,風や雲の気色,はなはだ悪い.それでもようやく重い腰をあげて,「侠客小金井桜」のメインの舞台,小金井市周辺を回ることにした.
 気合いが入らないのは天気のせいばかりではない.圓朝作品にくらべて,燕枝作品の地名は,ここだとはっきり決められないものが多い.照準のずれた鉄砲のようなもので,狙いがい,行きがいがないのだ.
 気合いが入らないから,だらだらと遅い出発となった.駅に着いて,電車時刻を確認しようと左手の袖口をさぐったら,スルッとして手ごたえがない.腕時計をしていない.あらためてカバンを探してみるまでもなく,スマホも入れ忘れたことに気づいた.いつ雪が降ってもおかしくない空模様の中,知らない土地で,バスをいくつも乗り継ぐのに,雨雲予報も,地図検索も,バス時刻調べもできない.それどころか,今の時刻さえ知ることができない.もう忘れたものはないかと考えたら,折りたたみ傘も,愛用の三色ボールペンも忘れていた.これで,財布を持ってなかったら引き返すところだが,あいにくこれだけは忘れていなかった.
 寒空の下,30分に1本しかないバスの後ろ姿を見送ったりしたくはない.電車の中でいいアイデアが浮かんだ,駅の時計をデジカメで撮って撮影記録とくらべてみた.カメラの内蔵時計の方が2分進んでいる.歩道でも立ち木でも写真に撮れば,今の時間が分かる.これでバスをお見送りする心配はなくなった.


午前9時19分42秒
 「侠客小金井桜」は,明治31年に毎日新聞に連載された新聞小説だ.実在の侠客,小金井小次郎の伝記で,人情噺と言うよりは,むしろ講釈サイドのネタなのだ.新門辰五郎と協力して佃島の寄場が延焼するのを防いだり,水の乏しい三宅島に井戸を作ったりする場面がハイライトになる.そのほかの部分は,ヤクザの斬った張ったといったシーンが多い.あの有名な新門辰五郎にしても,黒門初五郎に名前を改められており,地名だって脚色されている可能性が高い.自信のないまま実踏に移るしかない.せっかく行っても,見のがしもあるかもしれない.
 三宅島は別の噺で訪れていたのだが,ラッキーなことに,小金井小次郎の井戸は偶然訪問済みだった.


三宅島小金井小次郎井戸
 さて,今日は府中市の深大寺から,小平市まで,バスを乗り継ぎながら北西に進むルートになる.
 最初の深大寺は,間違えようのない地名だ.元三大師の縁日にばくち場が開かれるというシーンで登場する.賭場の縄張りをめぐってのいざこざは,任侠もののストーリーを進めるエンジンになっている.深大寺といえば,名物のそば屋が十指にあまるほど建ちならんでいた.ダルマ市はまだ先のことなのに,厄除けに来た善男善女でいっぱいの場所だった.
 深大寺から1.5キロ離れた大沢コミュニティセンターまでは,徒歩でつないだ.ここは,府中飛行場最寄りのバス停なので,以前に2,3回来たことがある.運行ルートのわからない武蔵境行きの小田急バスを見送って,なれた京王バスに乗る.大沢で降りる前に,前を走る小田急バスに追いついたのだが,方向幕は三鷹行きだった.やっぱりバスは難しい.


深大寺元三大師碑
 バスを降りた目の前に,原色の幾何学的なブロックを積み重ねたような建物がある.三鷹天命反転住宅と名づけられている.おお,岐阜の養老天命反転地の東京版ではないか.岐阜の方は,すり鉢のような土地に建った建物など,ゆがんだ空間感覚を味わえる場所なので,三鷹の方はきっと,テーブルに置いた味噌汁のお椀がツツーッと向こうへ滑るような作りなのだろう.一般の方が住むための住宅らしく,岐阜のように公開はされていなかった.
 二塚明神は,ここだという決め手のない地名だった.ここの社叢に小次郎らがひそんで,敵を血祭りにあげる激しい場面なのだが,これがどこだかよくわからない.国分寺の方にも二ツ塚という地名が見つかるが,神社らしい神社がない.やはり,人見街道に面した大沢の二ツ塚神社が最有力候補ではないか.青龍権現を祀る二ツ塚神社は,2015年にすぐ近くの大沢八幡の境内社として合祀された.本殿の脇の真新しい社殿にお詣りして,次のバスに乗りついだ.


三鷹天命反転住宅
 こんどは天神さんを祀る小金井神社.小次郎最晩年を描いた速記本文に,"数十階の石段と石像の唐獅子一対、奉納して素志を果たし"と描かれている.小金井神社は武蔵野台地の崖下にあり,社殿は境内入口よりもわずかに高くなっていたが,道路からはせいぜい10段ほどの石段しかなかった.やはり速記は作りごとだったかと思いつつ,石段のすぐ先に置かれた狛犬の台座を見ると,"当所 願主関小治郎"と彫られているではないか.小次郎は,もともと名主の関家の長男で,幼い頃から博打が好きで勘当になった.新しい御影石の石段を振り返ってみれば,左の玉垣の根元に黒ずんだ小さな石碑が置かれている.ここにも,"願主当所 関小治郎"とある.よくぞ,石段を改修したときに残しておいてくれたものだ.この収穫だけでも,今日来たかいがあった.
 武蔵小金井駅に行く途中で,鴨下家墓地にある小金井小次郎の墓にもお詣りする.2メートルほどの石柱でできた顕彰碑の脇に,山岡鉄舟の筆になる墓石が据わっている.同じく鉄舟が墓碑銘を書いた圓朝の墓所は都の旧跡になっているが,小次郎の方は何の案内もない.そのかわり,代々の小金井一家歴代総長の名が玉垣に黒々と刻まれている.小金井一家は現代にも生き続けている組織だとわかる.


小金井神社石段奉納碑
 次に訪れるのは,玉川上水に架かる小金井橋になる.以前,小金井のサクラを見にきたときにも通ったことがあるので,今日は小金井公園にある江戸東京たてもの園にも寄るつもりだ.関東バスに乗ろうと武蔵小金井駅前にやって来たのだが,バス停が見あたらない.江戸東京たてもの園への案内がある西武バスの列が長かったので,ルートを見もしないでつられて乗ってしまった.小金井橋を過ぎてもバスは直進し,北に向かう.あわてて降りたところ,これが結果として好都合で,新作落語に出てきた「小金井カントリー倶楽部」の最寄りだった.小金井公園へ通じる私設の歩道橋から,ゴルフコースをちらりと見ることができた.冬枯れの芝生には一人のプレーヤーもいない.新作落語地名の寄り道にはよかったが,次の目的地の"巡田村"へは見当違いのバスルートだったため,次に乗るべきバス時刻はわからないままだった.昼食時間をふくめバッファーを取っていた2時間を,前倒しすることなく江戸東京たてもの園に充てざるを得なくなった.
 たてもの園は,東京各地から移設した建築物を展示する体験学習施設なのだが,私としては,三井本家の床の間に大黒さまが祀られていないかと目をこらしたり,居酒屋の品書きにアンコウのようなものがないかと目で追ったりして,どうしても落語目線で物色してしまう.子どもたちはと言うと,空き地に置かれた土管にドラえもんの世界を感じるらしく,口々にのぼりたいと親にせがんでいた.私の方は,土管よりも,若旦那のように銭湯の番台へのぼりたく,番台の地袋の引き戸をそっと開けてみたりした.中にはしご段はなく,時代に不似合いな赤い掃除機が置かれていた.


番台に助手席は…
 たっぷり2時間の見学後,予定どおりの14時42分のバスで,次の目的地の巡田へむかう.堀端とか温井とか,調べがつかなかった落語地名が多い中,巡田は,回田(めぐりた)で間違いない.回田バス停は新興住宅地のモデルルームの真ん前で,エコバッグを積んだ奥様が自転車で通って行ったりする.とりたてて見るべきものも見つからないまま,次のバスで最後の訪問地,小川へむかう.
 バスは小平駅が終着のため,途中下車して,乗り継ぎのバスを探す.しかし,西武バスは14時台の次は19時台しかなかった.たてもの園を駆け足で見ていれば,この14時台のバスに乗り継げていたことになる.西武バスのほかにもコミュニティバスや都バスが走っていたが,どれもうまく乗りこなせない.それにしても,多摩地区に都バスがあるとは.昔,路線図で奥多摩方面へつる草のように延びているバス路線を見つけて,びっくりしたことがあった.その長い路線の根元,植木鉢あたりになるのだろう.


バスがない!
 さて,速記に出てくる小川村が,今から歩いて2キロ先の小平市の小川のことなのかどうか,はなはだ心もとない.速記には,"水上なる小川村より、新橋の東北千川上水の掛け口まで、凡そ一里"などと書いてある.仮に,小川−(一里)−新橋−千川が東北へ分岐と読めば,新橋は小金井橋あたり,小川は小平市で良さそうだが,午前中に回った二塚明神へ行く道中だとも書いてある.はずれなのかもしれないが,ここまで来た以上寄ってみよう.
 地図を見るとお気づきだろう(→ 外部リンク地図),小川と名づけられた広い土地を南北に何本もの細い道路が平行して走っているが,東西方向の道路はほとんどない.シュレッダーにかけたような短冊状の土地が連なっており,紙片の長さは1キロになんなんとしている.一度入る道を間違えると,いくら進んでも隣の道に移ることができない.いったいどんな地形なのか気になっていた.来てみれば,青梅街道より南側がわずかに高くなっており,その先も大きな起伏なく玉川上水に向かっている車のボンネットのような場所だった.あちこちに"この先行き止まり"の標識が立っている.水が少なそうな場所で,名前のとおり小さな小川用水が東西に走っていた.細長い土地は蔬菜や果樹園に利用されている.そこが開発されては,2軒の家が背中合わせに建てば土地が埋まってしまうような住宅地に代わりつつある.何の変哲もない一本の小径は鎌倉街道だった.親子がバトミントンをしている.お父さんは車が来ないか気になるらしく,数回しか続かないラリーに男の子は不満げだった.
 今日一日,雪は降らなかった.傘を忘れたことを忘れていた.




小川の短冊状土地
2019年2月

初 日     紀行
9:40 新宿 9:58 つつじケ丘 京王本線  
10:11 つつじケ丘駅北口 10:27 深大寺 京王バス
深大寺
11:12 大沢コミュニティーセンター 11:19 大沢十字路 京王バス
二ツ塚神社
11:40 公会堂前 11:51 前原町 京王バス
小金井神社・小金井小次郎墓
12:38 武蔵小金井駅 12:42 小金井公園西口 西武バス
江戸東京たてもの園・小金井橋
14:42 小金井橋 14:48 回田町 西武バス
巡田
15:00 回田町 15:07 小平駅入口 西武バス
小川
16:19 新小平 武蔵野線
 

掲載 190301

HOME >> 落語地名探訪記 >> prev 燕枝・雪催し・忘れ貝 next