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八百善はどこに
 江戸料理の最高峰,八百善.
 山谷の八百善として,文人墨客がつどう高級サロンのような場所だったと聞く.
 高級ゆえの逸話も多い.お茶漬けを頼んだら,何時間も客を待たせた末,代金は一両二分という高額.わけを聞くと,ここにはいい水がないので,多摩川まで汲みに行かせたとの答えだった.なるほど,隅田川べりの低地では,よい井戸水は期待できない.吉原通いの上客があったゆえの立地だった.
 明治になってからの落語にも,赤坂や銀座ではなく,吉原に近い高級料亭の名がいくつも出てくる.八百善,山谷の重箱,水神の八百松,枕橋の八百松,奥の植半などなど.

山谷の八百善起こし絵
 客筋の変化,関東大震災,戦災といった理由で,多くの名店が閉店したり,場所を移したりしている.先ほど書いた店の中では,重箱が熱海へ疎開し,今は赤坂で営業している.宝暦年間創業の八百善は,山谷堀新鳥越町からいろいろあって,築地,赤坂山王,銀座6丁目へ移転.さらに江戸東京博物館から新宿高島屋で店舗を開いた時期もあった.十代目当主をテレビで見かけることもあり,料理教室を開いているとか聞いていたが,店があるのかないのか,よく分からない状態だった.それが,鎌倉で料理を出しているとわかった.知らなかった.

 休日の昼間の鎌倉は,本当に久しぶりだ.こんなに人が多かったのか!
 小満ん師の噺に新しく出てきた,瑞泉寺の山崎方代歌碑を見てから,明王院境内にあるという八百善に向かった.
 あわてて予約の電話をいれ,いつなら開いているかとたずねたら,3日後の日曜がOKとのこと.ちょっと拍子抜けした.何となく,今逃すともう行けなくなる気がして,別の予定を八百善に振りかえてしまった.
 小説『菊亭八百善の人びと』と,八代目当主の聞き書き『懐石料理とお茶の話』をあわてて買って予習する.
 明王院とは別の入口があり,八百善の額があがっている.庭を回りこむと,入り口に腰掛がある.引き戸を開けるといきなり板敷きになっていて面食らう.十一代目当主が出迎えてくれ,終始接客していただいた.板敷きの間に2卓,畳の上のテーブルに1卓.座るのが辛いのでテーブルはありがたかった.奥にも座敷があるようだ.床の間には,戦後開店する際の回状が軸になってかかっている.発起人の面々のサインを見ると,三井高篤,馬越恭一,藤原銀次郎,五島慶太といったそうそうたる財界人や『懐石料理とお茶の話』の著者の茶人,江守奈比古の名前も見える.
 70年も経てば,奉加帳も軸に変わる.なにより,客筋が庶民に変わった.


八百善の門構え
 写真を撮ってもよいとのことなので,少しだけ載せたい.ただし,食べログ掲載不可とのこと.先ほどの江戸時代の起こし絵も,店内に置かれたものの一つ.7枚組のパズルで,自分ではとても組み上げることはできない.
 料理は,3000円,5000円,7000円のコースの3種類.絶対額としては高いのかもしれないが,八百善の料理と思うと破格に安い.ちなみに,「羽織の遊び」に出てくるある料亭だと,3万円からが相場になっている.もちろん,まだ行ったことがない.
 今回はがんばって7000円のコース.季節によって,もしかしたら日によって献立がかわるだろから,ここで詳しく書いても参考にはなるまい.なによりも,料理が盛られた器が,店に伝わってきた歴史を感じさせる.
 鉄瓶の冷酒に朱塗りの盃.ブリの刺身,ごま味噌和え.鴨のじぶ煮,根来塗椀,蓋裏に金鶴.ヒラメの卵醤油がけ,貝の器.秋サケのつけ焼き,伊万里の器.メゴチの海老しんじょ挟み,五爪の龍の器.八杯豆腐.あん肝茶碗蒸し.味噌仕立て麦とろ.香の物.菓子と抹茶.


八百善の器
 料理について2つ.まずは,八杯豆腐.実は,はじめて食べた.
 「豊竹屋」で,お湯屋からもどった義太夫執心の親爺さんが食べた朝飯のおかず.と言うことは庶民的な食べものだった.椀のフタをぱっととると,ダシに取った煮干しの頭が浮いていて,「怪しかりける〜」と,義太夫でお椀をひっくり返してしまう.八百善の方は,出汁8,味醂1,醤油1で2時間じっくり煮含める.銅鑼鉢に入っていた.
 もう1つは,香の物のはりはり漬け.こんなにおいしいものなのか.これも,江戸時代の逸話がある.ある客が,はりはり漬けを別注したところ,あまりの高額に驚き,その訳を聞いた.尾張大根の一級品を取り寄せ,中からよりすぐったものを味醂で洗って漬けたから云々…….こういう話もごちそうだ.
 とにかく,お前は八百善の料理を食ったことがあるか,と聞かれたら,小さくハイと答えることだけはできるようになった.
2017年11月

掲載 180201

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