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おんたけ三の池  行程・地図
 2006年に御嶽山に挑戦した.なんとか山頂にはたどり着いたが,三の池にはあと500mまで近づいた地点で断念した.その後,2014年に御嶽山山頂噴火により,55人もの犠牲者を出す大惨事を起こしてしまった.それから5年,2019年には夏の時期に限って,山頂への立ち入りが認められるようになった.
 2006年のときには,残った落語地名も少なくなり,最後の旅の気分だった.あれ以後,落語集は続々と出版されている.容易に見ることができない明治時代の速記本がインターネットで公開されるようになり,新聞連載の人情噺にまで手を伸ばしてしまった.その結果,未踏の落語地名は,一時,何百ヶ所にも増えてしまった.
 三の池は,圓朝の「安中草三」に出てくる地名."お三の池で紙を浸して乾し揚げたのを、水の中へ入れまして、これをいただくと、お三の池の水をいただくも同じ事"とある御嶽山のご神水だ.今回は,御嶽山の三の池に行くことを第一目標に再チャレンジした.お盆明け,ぐずついた天気が続いていたが,天気予報は明日からの晴れを断言している.急いで山小屋に電話して翌日の宿泊を予約した.新宿発特急の指定席は,あとわずか数席にまで減っていた.ところが,一番簡単だと思っていたレンタカーが取れない.4社のうち1社だけ,予定していた営業所を変更して,ようやく1台の空きを見つけた.
 


三の池断念ポイント
 一番が二回目の三の池ながらも,長野県南部の落ち穂地名は拾っておきたい.
 落ち穂と言うには難物過ぎるのが,柳家小満ん師の口演台本だ.2015年からこれまでに,36冊の台本が自費出版され,474席もの落語・人情噺が新たに世に出たことになる.ご存じの方はご存じだろうが,マニアックなネタや枕が得意な小満ん師のこと,新地名もどっさりと出てきている.今日,訪問するのは,「源氏物語」に出てくる帚木(ははきぎ)になる.
 あの紫式部の「源氏物語」を丸こかしで地噺にしたのも恐れ入ったが,南信の山の中にポツンとある1本の木が,都びとの名所になるのだから面白い.中央道園原インターの西,細い山道を登ってゆくと,暮白の滝への駐車場のすぐ上にははき木のサインがある.そこを目印に山の中へ入る.滝を見にくる若者は多いが,帚木を訪ねるものはいない.300mほど山を登ったところに,根元だけになった帚木があった.1958年に台風で幹が折れる前は,天に枝葉を広げていた.ビジターセンターに在りし日の帚木の写真と,幹の一部が展示されていた.



ははき木のサイン
 妻籠(つまご)は,「毛布芝居」(けっとしばい)という上方落語にでてくる地名.明治期の二世曾呂利新左衛門が演じた落語で,大阪の大文館という出版社から,昭和7年に出版された『続落語全集』に収められている.大阪の文楽劇場の図書館まで行って見ることができた.
 「毛布芝居」は,田舎の殿様が,初めて見た芝居の殺し場を本気にしてしまい,舞台上の役者を縛り上げてしまうという落語.東京では「毛氈芝居」(もうせんしばい)の演題で,宇都谷峠の文弥殺しで演じられる.この場合,舞台は当然,静岡の宇津ノ谷山中になる.「毛布芝居」では,木曾山中が舞台となる.盲人となった梁瀬弥五郎を,悪事を暴かれれ浪人となった岩淵鬼藤太が斬り殺す.これを見た殿様が立腹し,岩淵役の役者が縛り上げられてしまう.あわてて頭取が殿様をとりなしに飛び込んだ.赤い毛布をかぶせられて舞台から下りた弥五郎は,次の幕では生き返ると説明する.これを聞いた殿様,湊川の合戦で討ち死にした先祖に毛布をかければ……,あの折りに毛布(けっと)はなかった,となる.田舎芝居に似合わぬケットが出てくるのが,いかにも明治の時代を感じさせる.その芝居のセリフに,"ちょっと物を尋ねとうござります、妻籠の宿へはどうまいりまするか"とある.
 中山道妻籠宿は,中央本線から離れた場所にあたるため,古い町並みがみごとに残されている.この町並みを生かすため,いち早く修景を行い,白川郷などとともに重伝建の第1号に指定された.こんな交通の便の悪いところでも,海外からの観光客が多い.宿の入口に設けられた高札場の北,鯉岩から,南の宿はずれの発電所まで,10分ほどでさっくりと歩くことができた.


妻籠宿枡形
 今日は御嶽山八合目に泊まる.
 振り返ってみると,前回は,無理な計画を立てたことを含め,悪条件が重なっていた.車中仮眠後の登山で,みぞれが降り,ほかには誰も登山者がいない中,たった一人でルートもわからぬ雪渓を横断するはめになった.避難小屋で取り出したおにぎりは固く冷え,米粒はポロポロと粘りけを失っていた.
 今回は違う.ロープウェイに乗って山小屋に泊まり,朝食もしっかり食べ,快晴のもと,一本道の登山道を,多くの登山客と一緒に進むはずだ.装備だって,ヘルメット,五徳ナイフ,GPS,キャップライト,ライター,ばんそうこう,靴紐のスペア,考えられるものは全部用意してきた.ふだん山登りはしないので,服装は作業ズボンに作業シャツ.これでヘルメットをかぶれば,林道補修にやってきたとしか見えない.
 登山道はきっちり整備されている.丸太でつくられた段々が,しだいに石と丸太,そして石だけに変わって行く.この時間に下ってくるハイカーは少ない.私がロープウェイから降りたのが15時半.最終便が16時半なので,16時を過ぎてすれ違った人はロープウェイに間に合わない可能性が高い.そんなタイミングで下りてきた4人組のパーティに声をかけると,一人がヒザを痛めてしまったという.かわいそうに,予定よりも4キロほど余分に歩くことが約束されてしまった.病人の枕元に「死神」が座っているようなものだ.


御嶽山黒澤口登山道
 体力を温存するために,一歩一歩踏みしめながらゆっくり登って1時間,八合目の女人堂についた.戸外のテーブルでは,ラーメンの湯を沸かしているご夫婦がいる.私は初めての山小屋体験.中は80畳の板の間で,中央に御嶽大明神の掛け軸が下がっている.行者さんの姿はない.小屋主に声をかけ,説明を聞く.「杖立ては部屋の前にあります.夕食は5時半になります,朝食も5時半です」.そんなに早起きなんだ.思っていたよりも早く出発することになりそうだ.
 宿泊客は少なく,4組のペアと私の計9人.私は,おっさんチームとの相部屋となった.年に何回も山行きするという大阪からやってきたベテランで,凍らしてきたボトルにお湯をそそいだり,小さな袋に荷物を小分けしたりと,手慣れた動きをしている.
 夕食のメモ.マスの切り身,唐揚げ2個,エビフライ1尾,トマトとキャベツのサラダ,煮物,菜のおひたし,たくあん,大根の味噌汁.


八合目女人堂
 食事をすませれば特にすることもない.しばらく夏のストーブにあたって,BS放送をながめる.
 山小屋のベニヤの壁に大きく落語家のサインが書かれている.1983年の日付で桂文平,橘家舛蔵,笠の下に柳家さん枝の名が見えた.貼られたチラシの下に隠されたサインは読めなかった.桂文平は,6代目柳亭左楽を襲名している.35年も経っても,サインどおり「寿限無」を保ち,ヘルメット掛けやポスターボードとして重宝されている.左楽は5代目がもっとも有名で,睦会の会長を務めた落語会の重鎮だった.


落語協会山岳部
 19時58分,ぱたりと電源が落ち,蛍光灯が消えた.「宿屋の仇討」の武士のセリフでは,相撲取りが歯ぎしりするは,六部が経を読むやら,駆け落ち者はいちゃいちゃするやらで一晩中その武士は寝つけなかった.ふすまをへだてた熟年夫婦がいちゃいちゃするわけでもなく,同室のイビキを数えているうちに,私はいつの間にか寝ていた.深夜になり中天に上ってきた三日月の光が,カーテンのない窓から差し込んできた.枕元に置いたペットボトルの水は冷え切っていた.思わずくしゃみを連発してしまう.4時半にタイマーで電源が復活し,消し忘れた蛍光灯がともった.窓の外では朝焼けがはじまりつつある.
 戸外に出れば,日の出を目指した若者が,早くもここまで登ってきている.一緒にご来光を拝む.
 朝食のメモ.ポテトサラダ,トマトとキャベツのサラダ,ヒジキ煮,玉子焼き,昆布巻き,ワサビ漬け,味付けノリ,豆腐とキノコの味噌汁,ブドウ.


山小屋の夜明け
 まだロープウェイは動いていないので,一般のハイカーはここまで来ていない.八合目が森林限界となっており,ちょっと登ると,ハイマツが毛並みのよいマットのように山肌を敷きつめている.いくつかの信仰石碑を通りすぎ,1時間で九合目の覚明堂避難小屋に着いた.青黒くさびた行者像がこちらを向いて立っている.
 山小屋の朝食をとらずに女人堂を出発したご夫婦が,もう山頂から戻ってきた.私は山頂を目指さず,二の池方面の道をとった.山頂周辺には一の池から五の池まで5つの湖の名がある.池と言っても,火口底だったりして,全部に水があるわけでない.前回の登山では,胸騒ぎするような波立つ水をたくわえていた二の池だが,今日はほとんど干上がっていた.粘っこい火山灰がたまった湖底がむき出しになっていた.
 遠くから鐘の音が聞こえた.池のほとりの覚明行者の立ち往生地で,白装束の行者たちがお祈りをしている.その背後を斜めに横切る稜線を,ハイカーが列をつくって登っている.
 8時に白龍小屋着.奇しくも前回到着したときと同じ時刻だ.前回は朝3時の出発だったから,今回は3時間も歩く時間が短くてすんだ.さあ,あの雪煙の奥の景色がどうなっているのだろう.ガレた裸地をちょこっと登って,その先を見下ろすと,目の前は断崖で,その先に登山道なんかなかった.はるか下,すり鉢状の窪地の底に,三の池が青い水をたたえている.標高差は200mもあろうか.あのとき,雪煙の中に一歩踏み出したら,この崖を転がり落ちていたろう.


断念ポイントから
 40分かけて三の池まで下ってきた.山頂へのルートと違って,あたりには誰もいない.透明な水に手を突っ込むと,夏なのに冷たく感じる.水温は20℃ほどだろうか.ネット情報だと,湖水は酸性だという.7月まで湖岸が雪に覆われているというから,きっと酸性の雪解け水がたまっているのだろう.
 三の池から女人堂までの道は,いまだに通行止めになっているので,芸がないが,お水をくんだらもと来た道を引き返すしかない.白龍小屋に戻ってくると,風に吹かれた白いガスがときおり前を横切っている.朝見た断念ポイントから再び見下ろせば,霧はこちらに迫ってきていて,もう湖面は見えなくなっていた.
 予定より早く戻って来られたので,立ち入り禁止が解除された山頂まで欲張ろうかと思ったがやめた.天候にも恵まれ,体力に自信のない中,ここまででき過ぎなほどうまく行っている.準備は万全のはずだったが,前回もはいてきた靴のゴム底が,ぺろっとはがれかけていた.

三の池
2019年8月

初 日     紀行
7:00 新宿 9:07 茅野 あずさ1  
茅野 レンタカー
11:00 園原帚木
13:00 妻籠宿
15:10 鹿ノ瀬 15:25 飯森高原 御岳ロープウェイ
16:25 八合目女人堂
女人堂泊
 
2日目
6:10 出発
7:20 九合目覚明堂
8:00 白龍小屋
8:45 三の池
11:05 八合目女人堂
12:15 飯森高原 12:30 鹿ノ瀬 御岳ロープウェイ
13:45 宮ノ越宿
15:58 塩尻 18:06 新宿 あずさ26
 

掲載 191001

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