| 地点名 | 
    この1題・登場回数 | 
    位 置 | 
    備 考 | 
      写真と撮影年   | 
    
  
    | 島根県 | 
    しまねけん | 
    恐怖の怪談社(レオ三枝3:01) 1件1題 (上方1件) | 
    島根県 | 
    島根県の落語地名は,県中央から東部にまとまっている.日清戦争の激戦の中,ラッパ手木口小平は,銃弾を受けても立ち上がり,ラッパを吹き続けた.「死んでもラッパを口からはなしませんでした」と修身の教科書に書かれた木口小平の像は,浜田護国神社の境内にある. 
"君とこのお父っつぁん、金持ちやさかいな。島根やったかいな"(恐怖の怪談社)
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    木口小平像 | 
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    2006 | 
  
  
    | 出雲 | 
    いずも | 
    たらちめ(講明治大正3:10) など 52件31題 (圓朝2件, 東京40件, 上方10件) | 
    島根県の東部 | 
    旧国名.島根県の東部.かぶき踊りの祖,出雲阿国の墓は上の宮から稲佐浜へ向かう道の左上にある.出雲阿国の顕彰碑は,京都南座の前に建てられている. 
"毎年十月になると神様が残らず出雲へお寄合いでございます"(たらちめ)
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    出雲阿国の墓 | 
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    1990 | 
  
  
    | 安来 | 
    やすぎ | 
    凱旋(講昭和戦前2:09) など 4件3題 (東京4件) | 
    安来市 | 
    安来節とヤスキハガネの町.大正期,浅草で安来節の興行が大人気だった.しばらく前は,ドジョウすくいが宴会芸の定番だった."安来千軒名の出た所社日桜に十神山♪".1932年建の安来節記念碑は安来公園高台の桜の中. 
"出雲名物−ウ、荷物にゃアならぬ、聞いてお帰りーイ、安来節ーアラエッサッサ"(凱旋)
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    安来節記念碑 | 
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    2003 | 
  
  
    | 黄泉比良坂 | 
    よもつひらさか | 
    神代物語(新風上方:19) 1件1題 (上方1件) | 
    松江市東出雲町揖屋平賀 | 
    黄泉の国の入口.国道9号JRガード西を南に入り突き当たった所.碑の左奥にイザナギが実を投げた山桃や坂入口を塞ぐ大岩がある. 
"出雲の黄泉比良坂まで逃げ切りまして、この世とあの世の境を大きな石でおふさぎになりました"(神代物語)
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    神蹟黄泉平坂伊賦夜坂傳説地碑 | 
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    2017 | 
  
  
    | 松江 | 
    まつえ | 
    不昧公夜話(立名人名演02:06) など 10件5題 (東京10件) | 
    松江市 | 
    月照寺(外中原町179)内に松平家歴代の廟所がある.「不昧公夜話」は7代藩主松平治郷,不昧公が主役.たまたま庶民の夜鷹そばを味わって感動した不昧公が,水戸公などをお客に茶席を設け,自ら夜鷹そばを振る舞う噺.月照寺にある6代宗衍公の墓前の亀趺の亀は,夜分,松江城下を歩き回ったという.確かにその巨大さに驚く.小泉八雲が書き残している. 
"雲州松江の城主、松平出羽守、中興のご先祖を不昧公と申しあげます"(不昧公夜話)
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    松平不昧墓所 | 
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    2017 | 
  
  
    | 美保の岬 | 
    みほのみさき | 
    古事記談(柳家小満ん口演用「てきすと」 3,てきすとの会 (2015)) | 
    松江市美保関町 | 
    小満んの新作に登場.島根半島の先端.美保関の地には,美保神社,青石畳の道など.山を登ったところに関の五本松.眺望がよい. 
"ある時この大国主が、出雲の美保の岬に立っておりますと"(古事記談)
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    美保岬から大山方向 | 
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    2017 | 
  
  
    | 関 | 
    せき | 
    関の扉(土屋今輔:08) 1件1題 (東京1件) | 
    松江市美保関町美保関 | 
    関の五本松の用例."関の五本松 一本切りゃ四本 あとは切られぬ夫婦松♪".初代の松は最後の切り株が保存されている.尾根には,いかにもの模造の幹が立っている.今の松は三代目. 
"関の五本松の踊りがあるんですか。民謡じゃない。関の扉"(関の扉)
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    関の五本松 | 
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    2003 | 
  
  
    | 出雲大社 | 
    いずもたいしゃ | 
    兵庫船(三一上方2:09) など 11件9題 (圓朝1件, 東京7件, 上方3件) | 
    出雲市大社町杵築東 | 
    稲佐の浜に近い上の宮の祭神は素戔嗚尊と八百万神.旧暦10月,出雲国に神々が集い,縁結びや時には三角関係を結ぶ神事を行う社という. 
"出雲の大社、よいところだすな"(兵庫船)
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    出雲大社上の宮 | 
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    1990 | 
  
  
    | 出雲大社:お旅所 | 
    おたびしょ | 
    宮戸川(上)(柳家小満ん口演用「てきすと」 6,てきすとの会 (2015)) | 
    出雲市大社町杵築東 | 
    大社本殿左右にならんでいる東十九社と西十九社.この長い社に八百万の神々が滞在されて,縁結びの疲れを休める. 
"出雲大社には神殿の脇の所に、ご出張に成った神様達の為の、お旅所の御社がすらっと並ンでおります"(宮戸川(上)) | 
    出雲大社西十九社 | 
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    2015 | 
  
  
    | 伊那佐の浜 | 
    いなさのはま | 
    国譲りの巻(桂文我の落語版「古事記」, 燃焼社 (2020)) | 
    大社町杵築北稲佐 | 
    「国譲りの巻」は,桂文我演じる『古事記』を通しで語る連作の一つ.天鳥船神と建御雷之男神が伊那佐(いざさ)の浜に降り立ち,大己貴神(大国主命)に国譲りを迫る.国譲りの代わりに,出雲大社が建てられた.現在は,旧暦10月に神々が稲佐の浜から上陸し,出雲大社に勢ぞろいする. 
"天鳥船神と一緒に旅立って、出雲国の伊那佐の浜辺へ到着"(国譲りの巻)
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    稲佐の浜 | 
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    2015 | 
  
  
    | 塩冶 | 
    えんや | 
    難題話(講明治大正5:46) 1件1題 (東京1件) | 
    出雲市 | 
    神門寺(出雲市塩冶町821)に塩冶判官高貞五輪,その東方,塩冶神社は館跡と伝え,新しい顕彰碑がある. 
"雲州塩谷の家老大星由良之助に向かいまして"(難題話)
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    塩冶判官高貞墓 | 
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    2003 | 
  
  
    | 須賀 | 
    すが | 
    八俣の大蛇(落語で楽しむ古典文学, 大修館(2013)) | 
    雲南市大東町須賀 | 
    「八俣の大蛇」は,高校古典文学の教材落語.ヤマタノオロチを退治したスサノオが,クシナダヒメと住む宮殿を設け,八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣をと読んだ.和歌発祥の地. 
"なんてんで、この須賀の土地に宮殿を建てることになります"(八俣の大蛇)
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    須我神社歌碑 | 
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    2015 | 
  
  
    | 横田 | 
    よこた | 
    御名算(二ヶ領用水物語, まつ出版 (2010)) | 
    仁多郡奥出雲町横田 | 
    「御名算」はそろばんを題材にした新作落語.宮大工の村上吉五郎がそろばん作りを工夫する話.横田町は雲州そろばんの中心産地.最寄りの出雲横田駅は,1934年に建てられた堂々たる木造駅舎.太いしめ縄が出雲大社を思わせる.駅のすぐそばに雲州そろばん伝統産業会館があり,脇の施設に日本一の大そろばんが飾られている.1986円なり,となっているが,最初は設置された年の1996だったか? 
"雲州は出雲の国、島根県横田町。地場産業として発展し続け、全国シェアの七十パーセント、その品質の良さと共に、そろばんといえば雲州"(御名算)
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    雲州の大そろばん | 
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    2015 | 
  
  
    | 鳥髪 | 
    とりかみ | 
    八俣の大蛇(落語で楽しむ古典文学, 大修館(2013)) | 
    雲南市大東町須賀 | 
    現在の鳥上.スサノオが,斐伊川を流れてくる箸を見つけ,上流の船通山に人が住んでいることに気づく.鳥上小学校には,たたら製鉄の体験工房や,斐伊川に落ちる水路に粉ひき水車が置かれていた. 
"須佐之男命が天上界高天原から降りてまいりましたのが、出雲国は肥の河の上流、名は鳥髪という土地でして"(八俣の大蛇)
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    斐伊川と船通山 | 
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    2015 | 
  
  
    | 石見銀山 | 
    いわみぎんざん | 
    お婆さん江戸を行く(東峰今輔:12) など 3件2題 (圓朝2件, 東京1件) | 
    大田市大森町 | 
    "悪戯者はいないかな"の売り声で知られる石見銀山鼠取り.砒素製剤で,時代劇によく出てくる毒薬.銀山と砒素との関係は知らないが.岩見銀山坑道址の間歩の数は500以上.大森町は伝統的建造物群保存地区で,2007年に世界遺産になった.観光客向けの店が少なく感じがよかった. 
"夜嵐お絹は(中略)石見銀山のネズミ取りを少しずつ旦那にのましたという"(お婆さん江戸を行く)
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    大森町の町並み | 
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    2003 | 
  
  
    | 毘沙門山 | 
    びしゃもんやま | 
    武者修行(騒人名作08:07) 1件1題 (東京1件) | 
    不明 | 
    用例の「武者修行」は,「関の津富」のこと.俳諧師の関津富が.剣術師の武者修行と称して道場を訪れたり,雲州公の寵を受けたりするエピソード.そのマクラに雲州の毘沙門山と出てくるが不明.騒人社以外の「関の津富」の速記でも,同じように書かれている. 
"「千早ぶる神きこしめせ田植唄」現に雲州の毘沙門山に津風の碑が残っているそうでございます"(武者修行)
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    | 津富の碑 | 
    しんぷのひ | 
    武者修行(騒人名作08:07) 1件1題 (東京1件) | 
    不明 | 
    毘沙門山にあるという碑.出雲の毘沙門山とともに不明.講談の「関津風」に,松江の毘沙門山で命をかけて雨乞いをする話が載っている(濤声舎千山,講談落語界,3(1)(1914)).そこには碑のことは触れられていない. 
"「千早ぶる神きこしめせ田植唄」現に雲州の毘沙門山に津風の碑が残っているそうでございます"(武者修行)
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    | 山片村 | 
    やまかたむら | 
    樟脳玉(青圓生05:07) 1件1題 (東京1件) | 
    島根県:架空 | 
    大原郡木次町に山方がある. 
"生国は、石見の国は丙郡山片村、親は代々狩人で"(樟脳玉)
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