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福井県   
圓朝地名図譜
坊「愚僧は越前国永平寺の僧、諸国を行脚雲水の僧で今御門前を往来致しまする処、葷酒山門に入るを禁ずと有ります。禅家の御寺と心得、一問答願いたく推参致しまして御坐る。
 (橘家円喬(4) 「蒟蒻問答」)
  暉峻康隆ら編,『明治大正落語集成』 第三巻,講談社(1980)
 
地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年  
福井県 ふくいけん 稲穂のジュウタン(円丈落語全集 1, クエスト (2016)) 福井県 福井県は恐竜王国を名乗っている.フクイサウルス,フクイラプトルなどの恐竜化石が続々と発掘されている.恐竜博物館は勝山市にあるが,福井駅前ロータリーには動く巨大恐竜像が置かれ,駅ホームでは恐竜博士と記念写真が撮れたりする.
"その日おじさんは福井県のある小さな町で一日中セールスをし"(稲穂のジュウタン)
恐竜王国福井 2022
越前 えちぜん 尻餅(講ス文庫上方:044) など 11件9題 (圓朝3件, 東京6件, 上方2件) 福井県 福井県東部の旧国名.西部は若狭国.江戸川柳などで言うところの"越前"の用例(小噺「天狗の鼻」)はなかったと思う.エチゼンガニならば歓迎だが,大発生するエチゼンクラゲは越前の人にとって迷惑な名前.
"加賀越前のオオ、お駕籠やエ回りのエエ、さまお陸尺よ"(尻餅)
エチゼンクラゲ 2005
若狭 わかさ 寄合酒(初代桂春団治落語集, 講談社 (2004))など 福井県 福井県西部の旧国名.若狭湾でとれるヤナギムシカレイは,若狭カレイと呼ばれる絶品.
"若狭で借れりゃカレーちゅうて"(寄合酒)
若狭カレイ 2022
越前岬 えちぜんみさき 雪鴉(落語見取り図, うなぎ書房 (2005)) 丹生郡越前町 越前海岸北,日本海に突きだしている.水仙郷.水死体の髪毛がもずく料理に混ざるという場面で出てくる.文芸作品のような新作.
"きっと越前岬か何かから、厳寒の北陸の海に沈んだ薄命佳人の精が潮に揉まれて"(雪鴉)
越前岬鳥糞岩 2009
三国 みくに 時雨の笠森(聚栄堂 (1889)) 坂井市三国町 北前船で栄えた三国湊.精巧な指物や豪華な仏壇で知られる.三国駅南に遊廓跡があり,入口側に思案橋,出口側に見返り橋の跡がある.5月の祭りには,巨大な人形を飾った山車が町を練り歩く.
"少々ばかりの金を持ちまして越前三国へ引っ込みますつもりです"(時雨の笠森)
三国遊廓あと思案橋 2017
福井 ふくい 茶の湯(青金馬:13) など 4件2題 (東京2件, 上方2件) 福井市 もとは北ノ庄と呼ばれた.福井城址にある福の井は,福井の名の由来となる井戸と言われる.最近,上屋が整備されて雰囲気が変わった.噺には福井のウニが名産として出てくるが,いまは越前ガニの方が有名.サバやフグをぬか漬けにしたへしこもおいしい.
"福井ィ行って雲丹をたべよう……なんて、日本中歩いてる人があります"(茶の湯)
福井城 福の井 2022
福井城 ふくいじょう 寛永三馬術(柳家小満ん口演用「てきすと」<拾遺> 5, てきすとの会 (2020)) 福井市大手 越前藩松平氏の居城.もとは北ノ庄城と呼ばれた.本丸の堀と石垣が遺構として残る.明治に入って廃城となり,本丸跡は県庁や県警などの行政組織が入っている.屋根のついた御廊下橋,その奥の山里口御門の復元や,福の井の整備などが進んでいる.
"城下の真ん中ごろへ参りますと、山屋という大きな鰻屋があった"(寛永三馬術)
福井城御廊下橋と山里口御門 2022
滝波 たきなみ 黄金包(駸々堂(1890)) 福井市滝波町 大阪出来の人情噺「黄金包」の発端部,主人公の両親の出身地.一度しか出てこないので,場所の断定はしづらい.山ほとりに位置する福井市滝波町は,合併前は丹生郡清水町だった.福井市東方,勝山市にも滝波がある.「黄金包」は,犬の乳で育った犬太郎が化け猫を退治する噺.滝波に犬飼神社があったのも面白い取り合わせ.鷹狩りなどに用いた犬を飼う職に由来するという.
"ここに越前の国福井の片在瀧波村と云ふ間狭い村でございまして"(黄金包)
犬飼神社 2017
永平寺 えいへいじ こんにゃく問答(筑摩古典08:15) など 17件2題 (圓朝1件, 東京16件) 吉田郡永平寺町志比 曹洞宗大本山.「蒟蒻問答」で沙弥托善が修行していた寺.落語ではこの1題のみの用例だが,必ず登場する.
"拙僧は、越前の国永平寺…僧托善と申し、諸国行脚の者"(こんにゃく問答)
永平寺仏殿より中雀門 1999
中野 なかの 失業者(白川小春団治:06) 1件1題 (上方1件) 大野市中野あたり 初代桂小春團治(舞踊家花柳芳兵衛)の新作に出てくる.大野の前名である下庄(しもしょう)の名は小学校に残っている.
"私、実は福井県大野郡下庄村字中野の者です"(失業者)
大野城より中野方向 2002
敦賀 つるが 九州吹き戻し(三一談志5:03) など 3件2題 (東京3件) 敦賀市 日本三大松原の一つ,気比(けひ)の松原は敦賀駅からバスの便がよい.まさに白砂青松の名勝.岬を回ると原発銀座,ふげんもんじゅの加護あれ.
"越前敦賀で"干瓢"というは、"夕方顔を晒す"、即ち、夕顔を晒すというんじゃわい"(九州吹き戻し)
気比の松原 1999
気比の神宮 けひのじんぐう 薮入り(講落語全集2:21) など 2件1題 (東京2件) 敦賀市曙町 越前国一宮氣比神宮.主祭神は,伊奢沙別命(気比大神)で,ほかに仲哀天皇など7柱を祭る.社前の大鳥居が有名.国重文.ほかの神社のように,官幣大社の文字を汚くセメントで埋めたりしていない.境内には,敦賀地名の由来となった角鹿(つるが)神社がある.
"越前の敦賀へ行って気比の神宮へ参 詣して"(薮入り)
官幣大社氣比神宮 2022
種の浜 いろのはま 清少納言(柳家小満ん口演用「てきすと」<拾遺> 1, てきすとの会 (2019)) 敦賀市色浜 タイトルは「清少納言」だが,芭蕉の『奥の細道』の引き事で登場する.芭蕉が,西行法師の読んだ"汐染むるますほの小貝拾ふとて 色の浜とはいふにやあるらん"に惹かれて,色の浜を尋ねた.芭蕉が休んだ本隆寺に,句碑"浪の間や小貝にまじる萩のちり","衣着て小貝拾わんいろの月",本隆寺開山堂に"寂しさや須磨にかちたる濱の秋"がある.日に3往復のコミュニティバスが利用できる.
"この歌の種の浜を訪ねたという事でして"(清少納言)
芭蕉寂塚 2022
敦賀湾 つるがわん 清少納言(柳家小満ん口演用「てきすと」<拾遺> 1, てきすとの会 (2019)) 敦賀市 種の浜と同じく,松尾芭蕉の『奥の細道』の説明になる.陸路が不便だったため,芭蕉一行は船で色の浜を訪れた.景色のよい色ヶ浜は海水浴場になっており,釣り船宿が何軒も並んでいる.訪問時は,午後6時になると,釣り船がいっせいに敦賀湾の沖に向かいだした.
"敦賀湾の小さな漁港へ行っておりまして"(清少納言)
色の浜 2022
小浜 おばま 廓文庫(駸々堂 (1889)) 小浜市 寺院,仏像などたくさんの国宝を持つ町.人魚の肉を食べて八百歳の齢を保った八百比丘尼は空印寺裏山の洞窟で入定した.浜辺には人魚像がある.
"ならずものでございまして若州小浜の人でございます"(廓文庫)
空印寺八百比丘尼入定窟 2016
愛知村 あいちむら 納豆屋(新風金語楼1:10) など 2件1題 (東京2件) 福井県:架空 福井県愛知村とのこと.金語楼の新作「納豆屋」で使われたくすぐり.
"私は、福井県愛知村の者でございますが"(納豆屋)
     

掲載 040402/最終更新 220901

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