安政の大震災 |
安政2(1855)年10月,安政大地震.護持院ヶ原で遭難した御用達の娘,お録を小屋者の喜三郎が助ける−名前を告げず別れる/1857年,浄心寺の開帳で喜三郎,お録を見つける−お録と恋仲/このことが小屋頭の重助に顕れるが,お録と何とか添わせるとの言葉−喜三郎,自分が小屋者とお録に告げ,別れを迫るが,お録は離れない−2人は駆け落ち−重助,島村家と談判(その後の記述はなし) |
護持院ヶ原あと |
天狗党の乱 |
1858年,洗馬宿で喜三郎病に−お録,身売りをして助けようとするが,喜三郎死亡−1863年,玉村宿の主の好意で,客の言葉にしたがい,筑波の同愛社の看護婦になる−慶応元年(1865)年7月,天狗党の乱(1964年が正しい)で筑波山は内戦状態.癪で苦しむお桂を助ける.お桂は相州の金持ちの娘−お桂,天狗党が撃った大砲が着弾して死亡−お録,お桂の体から証拠の品を奪い,相州山田村へ行ってお桂になりすます−お桂,医師榊原養庵により蘇生
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筑波寺具原 |
山田村のにせ者 |
お桂,お録を追って相州へ.乞食の姿でようやく伯母を訪ねたが追い返される−了義寺の信夫を頼るが,話を聞いても半信半疑−信夫と伯母の留守にお桂,お録と対面−お桂,お録をなじり打ちすえる−お録,一転してお桂をにせ者呼ばわり−信夫ら戻る−お桂,捕らえられる−お録,この姿を見て真実を白状−信夫,小屋者と知りながらお録を女房にする.村の者は相手にしない−信夫,そんな社会制度に嫌気がさし,理想の地を求め,夫婦で北海道へ |
山田村了義寺 |