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済州島渡航証明  行程
 お正月の新聞を見ていると,国内旅行・海外旅行の全面広告が何ページも続いていた.それがまた,信じられないほど安い.海外旅行が3万円だなんて,まさに初夢価格だ! つられて,つい自分も予約してしまった.
 4代目桂米團治(中濱賢三)が,自分の代書屋経験を生かして創作した落語「代書屋」には,今は演じられない人物が登場する.時は昭和15年.済州島に住む妹を紡績工として呼び寄せるため,渡航証明を書いてもらおうとする男が現れる.男が持参した戸籍謄本に書かれた戸主は95歳とあるが,その人は実は36年も前に山の中で虎に食われて死んでしまっていた.死体がないので,墓地に埋める許可が要らなかったのをいいことに,父親の死亡届も,妹の出生届も出ていない.そこで代書屋は,死亡届,死亡届失期理由書,出生届,出生届失期理由書,渡航証明書と,えらい沢山の書類を作ってあげたのだが,科料を取られると聞かされた男は,内地語ワカランとつぶやいて,代金も払わずに逃げてしまった.男の出身地は,全羅南道済州島翰林面上摹里(カンリンミエンチャウマウリ)だそうだ.
 ハングルは何一つわからず,「代書屋」の助けが必要な自分だが,中濱代書事務所に代わって渡航証明の未払い金を取り立てに,いざ済州島へ.


中濱代書事務所の碑
 済州島(チェジュド)には,空港のある北海岸の済州と南海岸の西帰浦(ソギポ)の2つの大きな町がある.島の中央には標高1950mの漢拏山(ハルラサン)がそびえているため,それをぐるりと迂回する周回道路が両市街を結んでいる.両市の距離は80キロほど.バスで行くと2時間半もかかる.島の東半分には,漢拏山、城山日出峰、拒文オルムと3つの世界遺産がある.
 済州島の落語地名は,「代書屋」の男の出身地である翰林面上摹里だけだ.翰林面は,翰京面と分かれて翰林邑となり,今は済州市の一部となっている.上摹里の韓国語読みはサンモリで,落語速記にあるような,チャウマウリ(ジョウモリ)ではない.翰林邑には,翰林という町や上明里(サンミョンリ)のような上摹里に似た字面の地名はあるが,"ジョウモリ"に近い読みの地名は地図に見つからなかった."上摹里"そのものは,島の南の大静邑(デジョンウプ)にある.ここまでは予習済みだ.


済州島全図
 持参した古本のガイドブックには,バス路線については,実にざっくりしか書いていない.しかも,"観光客が乗りこなすのは難しい"とまで釘をさしているではないか.韓流ドラマのロケ地は載っているが,もちろん,落語地名のサンモリなんぞが載っているはずもない.とは言え,2ページをさいて,自然歩道に類するオルレなるものが紹介されていた.オルレのルートがサンモリを通過している.
 チェジュ空港の観光案内所で,オルレについて尋ねてみると,隣にオルレカウンターがあると教えてくれた.ちっとも知らなかった.係員が常駐するほど,済州島では人気のあるアクティビティらしい.落語地名なんて面倒なことは言わずに,オルレをハイキングしたいと言うと,日本語版ガイドブックを渡してくれた.200ページもあってしかも無料だ.探索の情報源は,グルメ偏重の中古ガイド本と,今もらったオルレガイドブック,それにネットからプリントしたハングルのローマ字表と簡単な地図だけだ.


チェジュオルレガイドブック
 今回の荷物はデイパック1個だけ.国内旅行よりも身軽だ.体は軽いが心は重い.落語に描かれる江戸っ子は内弁慶で,地元では威勢がよくても,江戸を離れるとすっかり弱気になってしまう.箱根山の大きさに驚いて,そのまま江戸に帰ってきてしまうエピソードも出てくる.
 これが国内旅行だったなら,まずは歴史ある旧済州市街に行ってみるのだが,弱気な江戸っ子の末裔は.その元気がない.メニューを指させば通じる空港のカフェで,オルレガイドをめくって作戦を立てる.
 なお,だんだんとわかってきたことを時系列で読まされてもまだるっこしいでしょうから,最後にオルレとバス情報について,まとめている.
 結局のところ,サンモリを通るのは,オルレコース10番と11番で,10番は景勝地の松岳山(ソンアクサン)を中心とする海沿いのコース,11番は内陸へ向かい,途中には原生林を通る丘陵コースになっている.未払い金の父親は,山で虎に食われたそうだから,虎の出そうな摹瑟峰(モスルボン)の方,11コースへ行ってみよう.バスは755,750,702の3系統が,11コース起点の摹瑟(モスル)の町へ運行されているようだ.バスは旧済州市街にあるバスセンターから,各地へ発着していると書いてあるが,残念ながら,今日の宿は新済州市街だ.手はじめに,渡航客にもわかりやすいリムジンバスに乗ろうとしたが,運転手に聞いても発車時刻の数字が聞き取れない.運賃もバス停に書かれていた4500ウォンではなく,1300ウォンだという.安いのはありがたいが,こんな調子では,明日バスに乗るのは苦労しそうだ.
 漢字はありがたい."済州漢拏病院"の門柱があがった病院のそばに,乗客で混み合った大きめなバス停があった.ここで情報を探る.バス停にはひっきりなしにバスがやってきては,さっと乗客を乗せては去って行く.バス前面の電光掲示は,一瞬で表示が切りかわってしまい,自分のスピードではとても読むことができない.バス停の方には,先ほど目星をつけた3系統のバス時刻表も掲示されていた.とはいえ,時刻表の中に自分のいるバス停が書かれているのかすらわからないので,写真を撮って部屋で1文字ずつ解読することにした.


755系統バス時刻表

702系統バス時刻表

750系統バス時刻表
 702系統の西回り周回バスは,20分に1本ほど運転されているが,終点の新西帰まで2時間もかかる遠回りルートだ.モスルとあるが,モスルポは通らないようだ.755系統は,漢拏病院の通過時刻も載っており,モスルポまで40分の速達性も魅力だ.40分に1本しか運転されていないので,乗り逃がしたら大変なことになる.750系統は,漢拏病院が時刻表に載ってはいな.さっきバス停でもそもそしていた間に,確かに750系統バスがやって来ていた.終点がモスルポであるのも安心材料だ.ただし,750系統はさらに4つに細分化されており,途中停留所に○印がついていたりして,通過駅があったりするのかもしれない.
 8時20分,2分ほど早くやって来た755系統に乗り込む.運転手に4000ウォンを差し出してみると,700ウォンのお釣りが来た.ガイドブックにあるとおり,最大運賃が3300ウォンで値上がりしていないことを確認できた.クラクションを鳴らし続けながら混雑する市街地を抜けると,バスは高規格道路ルート1136に入った.交通標識には80の数字が書いてある.これはマイル制限なのだろうか,時にバスは110キロで疾走した.高規格道路を降りると,学園都市らしい開発地に入り,施設ごとに停まってゆく.右手に目的地のモスルボンが見えてきた.
 モスルボンをぐるりと回り込み,9時15分,大静高校バス停で下車.おそらく15分ほど遅れて到着したらしいが,発車時刻表がないので確かめられない.このバス停には,系統別時刻表のほか,島全体の路線図や距離別の運賃表も掲示してあった.750系統に乗っても,結局はここを通ったようだ.
 バス停そばには,付近の戦争遺跡を示す巨大な看板が立てられている.オルレガイドにある旧日本軍の飛行場跡だけでなく,戦争の傷跡がそこここに残っているらしい.大静高校からモスルボンへまっすぐ登る道もあったが,お世話になったガイドブックに敬意を表して,オルレコースをめざす.片側2車線の1132号路に沿ってひたすら歩く.歩道を行く人は誰もいない.道より一段低い土地はネギ畑が広がり,畦は石垣で囲われている.水田は見あたらない.ガイドによると大静女子高校のあたりでコースにぶつかることになっているが,校門を過ぎても案内サインが見つからない.畑仕事をしていたお婆さんに,青色のオルレガイドを取り出して,"オルレ"と言いながら本と前方を交互に指さしてみた."どこですか?"のひとことが言えない.お婆さんは,親切に何か教えてくれるのだが,せっかくの答えがまったくわからなかった.
 何のことはない,お婆さんのすぐ先の交差点脇に,オルレの方向矢印があった.モスルボンの山頂には,巨大な緑色をした天文台のようなボール状の建物が見える.青い矢印はそのボールの方ではなく,来た道をヘアピン状に折り返し,大静女子高校の裏手を指している.ガイドブックでは1120号路という大きな道に沿うように描かれているが,実際はこの細道を行くことになる.さっき道を尋ねた場所のすぐ脇を通る.お婆さんはいなくなっていた.


モスルボンとオルレ方向案内
 ミカン畑を縫う急坂を登ってゆくと,畑の中にぽつぽつと個人が立てた墓碑らしい石碑や土まんじゅうが見られるようになる.日本でも,田んぼの中に生け垣に囲われた家の墓を見かけることがある.この山が特別な葬送地なのか,韓国で一般的な風習なのかわからないが,とにかく土まんじゅうの密度がぐんぐんと増してくる.すると,オルレガイドのリボンは,山を巻くように灌木の中の未舗装路へ向かいだした.ようやくトレッキングコースらしくなってきたが,あいかわらず誰にもすれ違わない.あたりにはえているのは,ヒノキやマツに加えて,スギらしい針葉樹も見かけられた.韓国にスギがあるとは知らなかった.急に目がかゆくなってきた気がする.急いで林を抜けると,大静高校の方から登ってくる舗装路に合流した.
 今度は,個人墓ではなく,整備された墓苑となる.帰ってから調べてわかったのだが,韓国語で墓地のことを山所ともいい,このように山に埋葬し,家族がそろって墓参りにやってくる風習があるのだそうだ.このサンモリ共同墓地を進むこと5分ほど,舗装路はそのまま山頂へ向かっているが,オルレの矢印はハイカーを深い森の中へと導いている.案内を信じて進むが,道は山頂から離れるばかり.山頂にあると書かれたスタンプポイントに行けなければ,わざわざ来た甲斐がない.道ばたには,獣に襲われた山鳥の羽が散らばっているではないか.戦前でも済州島に虎がうろうろしていたはずはないが,野犬に遭うのもイヤだ.海外で狂犬病にやられたというニュースを思い出す.
 オルレの道をいったん引き返して,舗装路を山頂へ向かってみる.登り詰めた敷地はずーっと高いフェンスで囲われている.下から見上げた巨大なボールを守っている歩哨の青年が近づいてきた.まずいかなと思いつつも,「代書屋」の男のように,"すたんぷはここデスカ?"と白々しく尋ねてみる.彼は何も知らなかった.ただ,山頂全部が軍事施設で占められており,スタンプが置かれていないこと,この山を越えて行けないことがわかった.


突然オルレ案内は山道へ

誰が襲ったんだっ
 先ほど途中で引き返した道は,まだまだ見通しのない林の中を進み続ける.軍事施設を通れないので,オルレのために新たに切り開いたものだろう.法華経(ホケキョ).ウグイスの初音を韓国語で聞くことになるとは.林を抜け,視界が開けると,これまで以上に広大な墓地が広がっている.モスルボンを90度ほど回り込んで,東側の中腹までやってきた.緑の丸いドームは別の建物の陰になって,もはや見えない.渡航証明を踏み倒した男がいなくなって70年以上,もうこの山のどこかに眠っているのだろう.サンモリ共同墓地のプレートでも掲げてあるかと期待したが,それらしいものは何も見つからなかった.その代わり,墓地の間の坂を上り詰めたところに,オルレのスタンプとインクを収めた木馬が見つかった.
 中間地点のスタンプは,コース番号とオルレのシンボルであるガンセ(小馬)だけのシンプルなデザインだった.中間地点までではプチごほうびで,ゴールまで歩かないと,凝ったスタンプはもらえないようだ.口元に見える点は,スタンプをぎゅっと押しすぎたせいかもしれないし,ポニーへのごほうびのニンジンなのかもしれない.
 1時間もかけてやってきて,このスタンプしかなかったが,ここから見下ろす景色はよい.虎に食われた親爺一家の墓の向こうに松岳山,左手には切り立った岩山の山房山(サンバンサン)が見える.太陽の光を反射して,平野のあちこちが光っている,水田にしては水を張るのが早すぎるから,もしかすると養殖池かビニルハウスだろう.この墓地のあたりから,はるか向こうの松岳山までがずっとサンモリにあたる.それでは,サンモリの町へ行ってみよう.


プチご褒美の中間スタンプ

スタンプポイントからのながめ
 山を下りれば,車が右側通行なのを除けば,日本とさのみ変わらぬ町なみとなる,もう1つ違うのが,住所のつけ方.欧米のように街路名を基準にしており,家々の表札にも街路名と番地(beon-gil)が組み合わせて書かれている.今歩いているのは,サンモダイセオロ(上摹大西路).お目当てのサンモがついている.一本枝道に入るとサンモ路となった.敬老堂があり,その前に顕彰碑が建っている."上摹"の漢字は見つからない.民家の軒高は低く,屋根は赤い瓦で葺かれていて,それを高い石塀が囲んでいる.沖縄や対馬の家を合わせたような外観だ.家々には外便所があり,風でカラカラ回る脱臭用の煙突が必ずついている.何か懐かしい風景だ.一軒の家のコンクリ塀は,アワビの貝殻で飾られている.値段が高いせいか,ぽつぽつとはめ込まれた控えめなデザインになっていた.
 ちょっと広い通りに出ると,目の前に丸看板のバス停があった.看板にはハングル・英語・漢字でサンモリとあるではないか.ようやく,長いあいだ気になっていた落語地名をクリアすることができた.丸看板の反対側,西行きのバス停は待合所があるタイプで,建物の脇には済州島特産のミカンの意匠までつけられている.バス停背後の三角地帯には,3台ほどの健康器具のような遊具が置かれており,角にはいわくありげな石碑が立っている.くずし字で彫られた説明文は,その場では読めない.サンモリの史跡か,地名の由緒を示すものかもしれない.ありがたく写真を撮ってきた.
 今,翻訳をかけてみる."サンモリ小公園".ああ,そうですか,三角地帯そのものの看板でしたか.それにしても,ずいぶんと凝ったものを.古道具屋から買った煤けた掛け軸を明るいところで読んでみたら,"風流天麩羅茶漬"だったようなものだが,カムサハムニダ.


サンモ路のアワビ貝塀

サンモリの由来碑?
 無事にサンモリでの収穫が得られたので,残った時間で翰林方面へ立ち寄る.高規格道を爆走した往路のバスと違って,西回り周回バスは,旧道に入っては港町の客を一つ一つ拾って行く.あいかわらず運転は荒く,旧道に置かれた速度抑制用のハンプをジャンプするように乗り越えていった.
 翰林(ハンリン)公園バス停で下車.砂浜の金陵海岸からは,火山島の飛揚島(ピヤンド)が見える.海は遠くの青から,岸に近づくにつれて水色から白みを帯びている.白砂から顔を出す黒い玄武岩,そして海の青色のグラデーションが織りなす,オルレ14コースの白眉だ.青いガンセが青い海を見つめていた.
 翰林公園は,済州島を代表するテーマパークなので,詳しくはガイドブックをご覧いただきたい.溶岩と鍾乳石とが合体した2つの洞窟(天然記念物),ちょうど見ごろを迎えつつある梅園,よく訳のわからない盆栽や石庭などをゆっくりと見て回った.財岩民俗村には,戦前の済州島を思わせる丈の低い茅ぶき屋根,石と土壁でできた民家が移築されている.戸口を守る石像は,トルハルバンという済州島に伝わる守り神だ.石でできた門(チョンナン)には,3本の丸太が通せるようになっている.さした丸太の本数で,主人の外出が長いかどうかを示すのだという.また,門から家へ至る曲がりくねった細道のことをオルレと呼び,これがトレッキングコースの名前の由来となっている.


茅ぶき屋根の伝統家屋
◇チェジュオルレ
 1~21コースに,派生する5コースを合わせた全26コースの自然歩道が,済州島を一周するようにつながっている.各コースの歩行距離は10~25キロほどで,オルレのために切り開かれた道もある.コースは,基本的に海岸沿いを時計回りに設定されており,派生コースは島や内陸に入り込んでいる.ガンセというのんびり屋のポニーがマスコットキャラクターで,彼の頭はゴールの方向を指し示している.その他にも,コース上には矢印やリボンなどを使った道しるべがたくさん置かれており,はじめてでも道に迷うことはなかった.海の色を表す青色矢印がゴール方向,ミカンを表すオレンジ色がスタート方向を示している.ただし,迷いやすい藪中の道もあるらしく,女性の一人歩きを進めていないルートもあった.起終点と中間地点には,スタンプが置かれていて,歩く人の励みになる.専用スタンプブックも用意されているとのこと.ホームページも充実しているが,全体像をつかんだり,交通情報を得たりするためには,ガイドブックを入手した方がよい.空港ほか,主要なルート起点に用意されている.
 コース1は,世界遺産の城山日出峰をかすめるルート,コース17はチェジュ空港から歩き出せるルートである.今回モスルボンまで歩いたコース11の先は,ゴッザワルというツタの絡まるヤブを抜けるルートで,ゴールの武陵(ムリョン)からは,950番というローカルバスがあると書いてある.実際にゴールまで歩いていないので,バスの運行頻度などは不明.
 チェジュオルレは,イギリスのコッツウォルズ,スイスツェルマットや四国お遍路道などと"友情の道"という姉妹提携を結んでいる.九州にも全15コースの九州オルレがあり,海の青と神社の朱色をシンボルカラーに,チェジュと同じような矢印でハイカーを案内している.

モスルボンのスタンプポイント
◇済州島バス事情
 わずか1日だけ乗った範囲で推測したバス事情です.ご参考まで.
 旧済州市のバスターミナルから,図のように四方へバス路線が延びている.図の数字は道路番号で,バスの系統番号ではない.主要な路線のみ,空港ターミナルに乗り入れるらしく,周回バスのバス停は,ターミナルから400mも離れたところにあった.それなので,チェジュに着いての初乗りは,空港と新済州,西帰浦を結ぶリムジンバスの方がわかりやすいだろう.
 地元の人には割引運賃となるICカードが普及している.もちろん,現金でも乗れる.運賃は乗車の際に支払う.5段階の距離ブロック制(1300/1800/2300/2800/3300ウォン)となっているため,乗車の際に降りるバス停を申告する必要がある.紙幣・コインともに使えるが,両替するのではなく,お釣りのコインは運転手がレバー操作によって払い出してくれた.高額紙幣が使えるかは不明.
 バス停には発車時刻表ではなく,路線別の時刻表が掲示されている.大きなバス停だけしか示されていないため,自分のいるバス停が載っていないこともあり得る.タッチパネル式の液晶掲示板も設置されており,バスの接近・到着案内がなされるので,慣れた人はそれで用が足りるらしい.パネルは,一応,英語に切り替えもできる.ただ,何の反応もしないパネルも多かった.車窓から見た田舎のバス停には待合所もなく,ベッコウ飴式の看板になっていた.待合所がある場合,ハングル,英語,中国語,日本語の4ヶ国語でバス停名が表示されていた.
 運転の印象は良くない.老人が乗り込んでも,着席する前,ドアさえ開けたままで発車する.事故を避けるための急ブレーキはザラなので,見晴らしがよくても,前の座席に座るのはやめた方がよいかも.
 車内アナウンスは基本的に韓国語で,次とその次の停留所が自動放送される.主なバス停では,英語のアナウンスもある.液晶パネルにバス停名が表示されるタイプの車もあった.降りる際には,(当たり前だが)ブザーを押す.押さないと通過してしまう.私の降りた大静高等学校は,幸いに英語アナウンスがあったが,韓国語だと"デジョンコツンハクキョ"とか言うので,きっと聞き取れなかっただろう.漢拏病院が,"ハンラ"ではなく,"ハルラ"となるなど,ハングルをローマ字で拾い読みしても,実際には音がつながったり変化したりするらしい.とはいえ,"ハンラピョンウォン"とまで読めれば,何となく"漢拏病院"であると類推できるだろう.
 おまけ.空港へ帰るときに使った702系統周回バスは,漢拏病院バス停を通らず,数百メートルほど離れた海岸沿いを通過していった.何で来ることのないバスの時刻表が漢拏病院バス停に掲示されていたのだろう.

済州島バスルート図
2017年2月

初 日     紀行
10:45 成田空港 13:35 済州空港 KE718
14:25 済州国際空港 14:37 グレイスホテル リムジンバス600系統
済州市泊
 
2日目
8:22 漢拏病院 9:15 大静高等学校 市外バス755系統
オルレ 11コース
10:50 モスルボン山頂スタンプポイント
サンモリ路
11:47 サンモリ 12:23 翰林公園 市外バス702系統
金陵海岸
翰林公園
15:03 翰林公園 16:10 済州国際空港 市外バス702系統
19:00 済州空港 21:15 成田空港 KE717
バス時刻は時刻表ベースではなく,実際の運行ベース

掲載 170301/最終更新 170901

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