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弱法師拝見
 江戸の昔には,古株の町人を正月に江戸城に呼んで能を見せるお能拝見という行事があったという.呼ばれたほうはというと,名誉なことではあるのだが,真冬の最中にむしろだか砂利敷きだかの見所に一日詰めるのは大変だと,代理人を立ててごまかしたらしい.その日はいわば無礼講で,代理に立った江戸っ子は,物見遊山気分,奇妙な風体をして出かけたという.
 今回,国立能楽劇場が新作落語に出てきたため,初めて能を見ることにした.寄席に行くのと勝手が違い,どんなことになるやら.
 選んだ演目は「弱法師」.一般発売初日に予約を試みたが,既にほとんど席がなかった.能楽は固定ファンが多いらしい.


国立能楽堂
 「菜刀息子」は,こんな落語だ.紙を切る庖丁を買う用を言いつかった商家の息子が,間違えて菜刀(ながたん)を買ってきてしまう.父親に強く叱られた気の弱い息子は家出してしまう.一人息子を失った老夫婦,悲しみにくれた一年が過ぎ,春の彼岸の天王寺にお参りする.何かの功徳にと群集する乞食に金を恵む.すると,一人要領の悪い乞食がもらい損ねている.よく見ると家出した息子ではないか.駆け寄りたい母親,それを止める父親.ただ遣るのではなく何か芸の代として金を渡せという.それが乞食なりの矜恃だという考えだろう.顔を上げた息子,「ながたん誂えまして往生しております」.
 手をかけたい母親と,甘やかすだけでは両親の亡きあと,一人で暮らせないと諭す父親.結果として乞食になった息子.屈託のない調子で言うサゲは,両親に対する復讐の言葉にも聞こえる.笑うところはどこもない,苦い落語だ.五代目桂米團治が,この噺に入れ込み,「弱法師(よろぼし)」としてガリ版の台本を出版している.そう,実は,このレアな落語「菜刀息子」の原作が能の「弱法師」なのだ.


菜っ切り庖丁
 国立能楽堂は満員の入り.客層は明らかに寄席とは違う.ハイソなマダム,身なりのよいご老人の連れが目立つ.開場前の携帯電話の注意は当たり前だが,補聴器をしっかり耳に入れておくようにとのアナウンスがあった.たしかに補聴器が耳からはずれると,ピーッとハウリングを起こす.観客の年齢層が高い証拠だろう.
 能にせよ狂言にせよ,開演を示す太鼓も,拍子木も,出囃子もない.客の方も迎えの拍手をしないのが約束らしい.寄席とまでは言わないが,歌舞伎だったならば,華やかな三味線の音色や山台にならんだ清元連,浅葱幕をぱっと落とすと一面の花盛りといった舞台装置が否が応でも華やかな雰囲気を盛り上げるのだが,能は全く違う.客におもねていない.囃子方,コーラス隊(何というのだろう)が,音もなく切戸をくぐって整列し,さらに演者も音もなく滑り出てくる.面にくぐもった詞章はさっぱり聞き取れない.さすがに,椅子の背に仕込まれたディスプレイにセリフを表示するサービスがあった.表示ボタンを押さないのが通らしいが.僕はしっかり押しました.押さなきゃわかるわけないじゃないですか.しかし,出てきたのはもろに古文.現代語訳はどこだ〜.


公演パンフレットより
 こう書くと,何か能をけなしているように見えるかもしれないが,全然違った.実にいい.何かデトックスしているような気分で見いってしまった.
 能の「弱法師」は簡単に書くとこんな演目だ.譫言により息子の俊徳丸を追放してしまった高安の通俊(みちとし)は,春の彼岸に天王寺で施行を行う.そこへやって来たのが盲目になった弱法師,実は息子の俊徳丸.勧めに応じて日想観("じっそうがん"と唱えていた)を行うと,何と昔に見た難波の景色がありありと浮かんでくる.喜びのあまり舞い回るが,参詣人に突き当たり,もとの盲目のままと知る.人もいなくなった夜になって通俊から親子の名のりを受け,連れだって高安に戻る.
 息子の追放,乞食になる息子,春の天王寺,親子の再会といった部分が「菜刀息子」と共通だが,落語の息子は乞食の身に安住を見つけている.


絵島
 有料のパンフレットは買えなかったため,ただで配られる英文の解説チラシをチラ見しながら,気になった場面をメモメモ.
 腰まで後ろ髪を伸ばした俊徳丸,天王寺に着いたと言う思いで,シテ柱を石の鳥居に見立てて,観客席側から斜めにチョンと打ち当てる.天王寺境内の地名は,石の鳥居,金堂,亀井の水と鐘が登場.天王寺の石の鳥居は西門だという通俊に対して,天王寺の石の鳥居は極楽の東門につながると反論する場面.落語「天王寺詣り」でも,石の鳥居の額に"当極楽土東門中心"とあると甚兵衛さんが説明する.日想観により難波の景色が見えた俊徳丸,舞台をぐるりと回るイロエという技法(英語ではcolor danseというのだそうだ),これで天王寺を経巡る様子となるようだ.出てきた文句が,西は淡路絵島須磨明石に紀の海,南は住吉の松原,東は草香山,北は長柄の橋.草香山は,落語には出てこない地名.


天王寺亀井水
 いやー,堪能しました.ヤクザ映画を観たあと,肩を怒らせて映画館を出る人がいるように,能を観たあとはみなさん黙々とすり足で劇場を出て行くようだ.気をつけないと能楽だけでなく,地名探訪にもはまってしまいそう.こちらは謡跡めぐりという立派な趣味で,先人がたくさんいる.
2012年2月

掲載 120322

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