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吾妻の猪買えず  行程・地図
 上方落語「池田の猪買い」は,淋病の冷えに苦しむ喜六が甚兵衛さんのアドバイスをもらい,池田まで新鮮な猪肉を買いに行く旅ネタ.重ね着したドテラに足を取られて歩けなくなるお茶目な喜六ではあるが,日帰りの段取りで早朝大阪を発つところは至極まともだ.池田で撃ったばかりの猪鍋で体を温めて戻って来るのに無理な道のりではない.
 これを江戸に移したのが,藤浦敦原作の「吾妻の猪買い」だ.その解題も道中付けも凄い.いわく,(桂枝雀の猪買いは好評だが)"半病人が横町の隠居に猪の肉は病いに効くとおだてられ池田の辺へそれを買いにゆく、とただこれだけの事で面白くもなんともなかった".凄い自信だ.肝心の道中付けは,本郷から中山道を下り,熊谷で秩父へ別れ栃本へ至る地名が細かく記され,読みあげるだけでも30分になろうかという大長編だ.芸のウソといってしまえばそれまでだが,秩父までの100kmの道のりを,下の病に悩む男が日の短い冬場に一日で歩けるはずもない.

 100以上の地名の前に戦意も失せてしまって,久しく調べもしないでいた.さて,どういう制約でこれに挑もうか.すべてを回るのは,拵えごとにまともに立ち向かうようなもの.徒歩で見ていったならば少なくとも5日はかかるだろう.落語地名探訪で通ってきた熊谷までの中山道をやり直すのも癪だ.そこで,要所要所を見物しつつ,噺同様に一日で回ってしまうことにした.ちょうど高崎線と秩父鉄道がルートとぴったり重なっている.寒中の秩父の山中で日が暮れてしまうのも一興だ.

 主人公の八五郎は,"かねやすまでは江戸の内"と言われた本郷弓町を朝立ちする.そこで,こちらは本郷三丁目を起点とした.2月3日の天気予報は雪.猪の出る秩父山中で雪が降ってくれるのは,おあつらえ向きだが,出発時点ですでに降り始めてしまった.本郷通りを北上する都バスはまだ動いていないため,都営地下鉄で中山道板橋宿手前までゆき,赤羽線へと乗り換える.「籠釣瓶」お紺殺しは,雪の戸田河原が舞台となる.せっかくの雪模様だが,真っ暗で何も見えない.

本郷三丁目
 埼京線を武蔵浦和で降り,1.5kmほど離れた浦和宿,調神社に参拝する.調神社には狛犬の代わりにウサギの石像が建っている.月の兎というシャレなのだろう.月なくて何の桂かなと喝破した月亭文都もあった.すでに日の出時間が迫っているが,月明かりもなく狛兎はまったく見えない.しょうがないので,手水舎にいた水を吐くウサギを載せる.ここからは中山道に沿った高崎線を下ってゆく.


調神社手水舎
 上り列車にはすでに遅れが出始めているが,高崎線の下りは順調に動いている.続いて8駅進んで,桶川で下車.この間に,大宮宿,「おさん茂兵衛」の上尾,「塩原多助」の加茂宮を通過している.中山道のルートからはずれるが加納天神に参詣.ここは天神の名の通り,菅原道真公を祀っている.噺に出てくる天神の湯とは,温泉ではなく,社前にあったという薬湯のこと.この湯に使った井戸が境内にある.引き続き,中山道のルートに戻り,北本駅前の浅間の社へ.神社仏閣ばかりを回っているが,かつての名残をさがすには神社仏閣が一番だ.ここは東間浅間神社と呼ばれ,高台に社殿がある.やはりその名の通り,木花開耶姫を祀る.大雪となったのはまったくの誤算で,雪道を走ることもできず,1時間で5kmを移動するのはギリギリの時間だった.通常運行の高崎線に乗り,1駅先の鴻巣で下車.


加納天神
 ここでは源経基公館を見る.噺では,"中井、前砂、砂を冠って田間宮に"と吹上の前砂に続いて出てくるが,実際にはずっと手前の鴻巣にある.清和天皇の六代末の子,源経基は,六孫王を名のりこの地に覇をふるった.発掘調査によっても源経基の館跡と確定されなかった.往復2kmの距離を30分で移動する計画は,やってみると無理で,少しのロスも許されない.鴻巣高校から南下せず,東から回り込んだのが正解だった.土塁と空堀がよく残っているが,一周する時間はない.暗くて土塁上の達筆の碑題すら肉眼では読むこともできなかった.文字通り駆け足で,鴻巣に戻ってくる.


伝源経基館跡
 熊谷で秩父路遊々フリーきっぷを購入し,秩父鉄道に乗り換え.この日何度も乗った秩父鉄道だが,すべて西武など他社車両のお古を利用した3両編成のワンマンだった.カラーリングはちと難だが, 窓も開くし,冷房もついていない,駅によっては扉が開かないし,なかなかいい感じ.さて,熊谷の標高は26mで,本郷からここまでの関東平野の標高差はわずか5mしかない.山道はこれからだ.

 「猫の茶碗」の石原から中山道とわかれ,荒川沿いに秩父まで遡ってゆく.大麻生,武川,永田,小前田と「吾妻の猪買い」の道中付けどおりに駅が続いてゆく.続いてターミナル寄居駅で下車.ここも持ち時間90分では余裕が全くない.はじめに駅北西方向1.5kmの正龍寺へ向かう.ここは藤田康邦の開基で,康邦と婿の北条正邦墓のあるところ.北条氏邦は次の鉢形城の城主.墓地をのぼっていった堂内に4基の宝篋印塔がならんでいる.暗くて刻字が見えなかったが,撮った写真を拡大してみると,一番左が北条氏邦夫人大福御前の没年と一致していた.写真の右が背がやや高く北条氏邦の墓,左が夫人のものとなろう.

北条氏邦・夫人墓
 約2.5km離れた鉢形城へ向かう.正喜橋にかかると北部を荒川の崖に限られた鉢形城址が見えてくる.秀吉方の城攻めを耐え,結果として領民を救った北条氏邦の居城.行ってみて分かったが,八高線にかかるほど東西に長く曲輪が並んでおり,歴史館まで整備されている.とても時間が足りないので,入口付近をぶらついて寄居駅に戻った.


鉢形城址
 寄居からは,波久礼,末野,矢那瀬,滝の上,井戸,野上,親鼻,藤谷淵,金崎,国神,皆野,小社,黒谷と道中付けが続く.うちいくつかは駅になっており,集落の名にすぎない所もある.藤谷淵は現在の長瀞のことで,小杜は小柱のことだろう.各駅の停車時間は短く,ドアが開いたと思う間もなく閉まってしまう.それだけ乗降が少ないのだが,貨物列車との交換は多い.秩父の石灰石を山積みしたホッパー車だ.これだけ貨物輸送が多ければ,客はなくても安泰かもしれない.

 黒谷で下車する.ここは神社仏閣目当てではなく,銅鉱山を見るのが目的.それも日本ではじめて銅を産出し,年号を和銅と改めたという由緒の和銅遺跡だ.和銅の文字を記した大岩があると言うが,今日は雪で何も見えない.急坂を5分ほど上ると,露天掘遺跡への案内標がある谷筋への降り口に着くが,そこから人が降りた跡はない.雪の階段を下りきると銅洗堀に着き,5mはあろうという和同開珎のモニュメントが立っている.積もった雪の厚みからすると,いつの間にか20cmは雪が降ったらしい.ここからさらに露天掘の跡をまいて上っていく急な見学路がついている.普段ならば急峻な山道という警告板は管理者側のエクスキューズにすぎないのだが,この日は本当に崖と雪との境目が分からないところがあり,滑り落ちたら肋骨をやっていたかもしれなかった.


和同開珎と銅洗堀
 黒谷から3駅,とうとう秩父についた.時刻は13時半,標高は225m.熊谷から200m上ってきた.同じ日の朝に本郷を発った超人八五郎も,夕刻には秩父神社に参詣している.この日は節分のため,拝殿にも関係者が詰めていた.極彩色の彫刻で埋められた社殿全景の写真はあきらめ,甚五郎の作の子育て虎の写真を撮る.そのあとは,武甲山を見晴らす武甲山資料館に行く予定だったが,この天候ではあきらめるしかない.あまった時間で喫茶店に入り暖を取る.テレビでは浪曲が流れている.画面上を流れてゆくテロップを見ると,空路,海路,鉄道,高速バスのどれもが運休を伝えている.ここまでの交通に支障がなかったので気づかなかったが,都心ではえらいことになっている.遭難時の備えにエサを買い込み,いよいよ奥秩父へと向かうことにする.


秩父神社左甚五郎の虎
 道中付けは,上影ノ森,下影ノ森,中川,上田野,日野,白久,贄川と続く.贄川が秩父鉄道の終点,三峰口にあたる.武州日野で団体のハイカーが降りて,三峰口のバス停に残ったのは僕だけとなる.標高は316mで,秩父鉄道は12kmの間に約100mの高度を稼いだことになる.15分の待ち合わせで,西武系の秩父湖行きバスに乗り込む.荒川の谷はますます深くなり,山は険しくなる.三十場あたりでは荒川対岸の大氷柱もちらりと見える.一番の気がかりは,この後に乗り継ぐバスの発車に間に合うかどうかだ.バスは後続の乗用車に道を譲りつつ,制限速度で隘路を上っていく.おそらく順調なのだろう.運転手に尋ねるのもばかげているので,黙ってやきもきしていた.約30分後の16時20分,終点の秩父湖に到着した.秩父湖といっても,湖の姿はどこにも見えない.それどころか,これから5分後に乗り継ぐバスの姿が見えない.


終点 秩父湖
 標高のことばかり書いている.ここ秩父湖は標高556m.バスは240mも上ってきた.目指す栃本はここからさらに5km先,標高760mの山腹を削り取ったようなところにへばりついている,いわば天空の村だ(想像図).そんな栃本へは,バスが日に6便通っている.次に乗る最終バスは16時25分発と下調べしてきたのだが,バス停の掲示では到着が16時25分,折り返しの発車が16時30分になっている.なるほど,あと5分待てばよいのだ.こんな採算の取れない路線を運行してくれている奇特な会社だから,ケシカラヌ話ではあるが,HPのバス時刻の更新が遅れるのもしょうがないか.


栃本集落(想像図)
 実は時刻表にはもう1つ大きなナゾがあって,事前に会社に問い合わせてみた.結局,回答はもらえなかったが,HPにはこう書かれている.16時25分(実は30分)のバスは,目的地の栃本関所を16時39分に通過したあと,終点の川又に16時45分に着く.これが終点で65分も時間をつぶし,17時50分に折り返すことになっているのだ.ところが,このバスが秩父湖に戻ってきた時には,既に三峰口に戻る終バスはとっくのとうに出てしまっている.つまり,夜の秩父湖でお客を置き去りにしてしまう,使いようのないバスになってしまっている.
 この場合,栃本から秩父湖まで1時間で駆け下りてこないといけなくなる.雪の残るコケ道では無理な話で,結果としてバスを待ったのと同じく,秩父湖置いてけぼりになる.しかし,当然といえば当然だが,案の定時刻表は1時間違っており,この場合,14分の待ち合わせで戻ってこられる.そうこうするうちに,発車時間になったがバスはまだやってこない.ここまでの電車バスは大健闘だったが,最も雪に強いはずの山間部のバスにしょい投げを食わされてしまった.後でバス会社に電話してみると,役場に伝えたとのこと.ううむ,やはりケシカラヌ.
 とんだ池田ならぬ吾妻の猪買えずとなってしまった.これでは猪鍋で祝杯というわけにもいかず,しょんぼりと今来たバスで一人戻った.
2008年2月

初 日   紀行
5:03 本郷三丁目 5:27 新板橋 都営地下鉄
5:33 板橋 5:55 武蔵浦和 埼京線
調神社
6:46 浦和 7:08 桶川 高崎線
7:26 桶川 7:33 加納 朝日バス
加納天神,東間浅間社
8:50 北本 8:53 鴻巣 高崎線
源経基館
9:31 鴻巣 9:46 熊谷 高崎線
10:01 熊谷 10:33 寄居 秩父鉄道
正龍寺,鉢形城
12:03 寄居 12:35 黒谷 秩父鉄道
和同遺跡
13:43 黒谷 13:47 秩父 秩父鉄道
秩父神社
15:03 秩父 15:35 三峰口 秩父鉄道
15:50 三峰口駅 16:20 秩父湖 西武バス
16:25 秩父湖 16:39 栃本関所跡 秩父観光バス

掲載 080208

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